6/12
ガーデニングが趣味というと嘘になるが、ボクは元来「緑」が好きである。自分の喫煙場所は部屋にあるベランダなのだが、ここは嗜好の部屋なのであるからして少々雰囲気にはこだわりたい。喫煙空間しては随分贅沢な感じもするが実はとても狭く畳み二枚分はないだろう。近所のこ洒落たインテリアショップの安売りを狙っては、ちまちま買い続けたものでトータルコストはわずかに20000円程度である。が、安いモノでも数が揃うとなかなか南国ムード満点なのだ。本来ムシムシして不快な季節なのだがこれが南国の木があるとかえってムシムシしててくれたほうが雰囲気が出ていい。熱帯雨林気候が大好きなボクにはうってつけのインテリアである。南国が好きな人、この梅雨の時期を気持ちよく過ごすにはお薦めのアイテムである。ちなみにかなり南国チックな雰囲気が出ているのでボクは、ここを勝手にCanary Gardenと名づけた。英語の得意な人は『カナリヤ・ガーデン』と訳すのだろうが、単純に「かなり」雰囲気が出ているのでCanary Garden(カナリ・ガーデン)である。
さてそのカナリガーデンに最近買い足した植物が1つある。大学生の頃から部屋をジャングル化する事に躍起になっていたボクが、今まで手が出なかったものである。それはフェニックスである。ヤシでもよいのだが、部屋にあると少々大振りで、ソテツだと小さい。気分を出すにはフェニックスが丁度いい。しかし何故今まで手が出なかったか?それは高いから!・・・ではなく(結構安い3600円)運べないから!である。なにせ観葉植物のなかでもカナリの長身であるフェニックスは購入しても運搬する方法が限られている。よほど背の高い車か荷台のあるトラックでなければ180cmほどの植物は運搬できないのだ。
たまたま近所に入荷したフェニックス・・・思い切って購入に踏み切った。それは「ヤネを開けちゃえば載る!」と判断したからである。
これは街ゆく人にも受けるだろうと考えたが・・・ほくそえんでいられるのも最初だけだった。
『このフェニックスは、たった今購入したんだよ〜ん』という唯一の証は根元のポッドにある包み紙だけである。しかもうす曇だった空からにわかに日が差し始めた。つまり、はたから見たら日差しを和らげる為にフェニックスの木陰を演出する「夏大好き!バカ男」といった様相なのである。店からでる時は、微笑みだった周りの視線。しかし駅に近づくとその視線が怪訝そうなものに変化していった。
これは、明らかに
「変な人」である。多分カリフォルニアのマリナ・デルレイあたりでこうやって走っていると、陽気なおばちゃんが肯定的な笑顔をくれるだろうが、246でやると一気にバカである。最近の日本人はそれでも少々ノーテンキ(いい意味で)な人が増えてきたからニカッと笑ってくれ人も極少数いるが、ほとんどはまずドライバーとは視線をあわさない。で、通り過ぎてから振り返り、指をさしながら馬鹿笑いするのだ。ミラーで見えてるっチューネン!

6/10
あらら・・・最近の出来事にピッタリのエピソードを1つ!随分前だが、久しぶりに土曜の「三京ナイト」を聖地「保土ヶ谷」にて行ったところ(4輪で・・・邪道?)、周りには数百台のバイク軍団!皆、黒皮で妙に眉間にしわ寄せて爆音立ててやって来るわ来るわ来るわ〜
「オートバイに乗っている人たちってなんて野蛮なの〜怖いわ、怖いわ〜、背中にデッカイ星つけて、まったく〜」
(詳細はこちら
さて、最近バイクにも沸々とEgo魂を燃やしている友人「E」からの入電である。
「Mr.Bike7月号・・・まいった・・・」
てっきりメチャメチャカッコ良いバイクでも掲載されていたのかと思った。まあ、毎月ひっくり返るようなEgoバイクがでているのであまり驚かないが、友人からの入電である。わざわざ本屋へ行って買ってきた。駐車場で何気なく開いた先に・・・ビビッた。これは正直ビビッた。ペラペラめくっていると、第三京品特集である。タイトルの横にある全景写真、そのバイク大集団の中心に・・・見たことのある赤と銀の組み合わせ・・・
こ・これは!トレイシーとシルバーアローではないか!?
そういえば、雑誌社の取材があった。なにやら大勢のスタッフが写真をバチバチ撮っていた事を思いだした。しかもそのアングルたるやまるで暴走族を仕切るヤ○ザである。(ボクじゃないよ、友人Eのほうだよ!)バイク軍団の中央にオープンのSLY。そしてなにやら腕組みをしながら回りに視線を配る二人の姿がバッチリ映っているのである。
ん〜微妙である。これが「ジャーマンカーズ」などの雑誌で「懐疑的ベンツのススメ!」か、なんかいう特集だったらちょっぴり嬉しいがよりによってMr.バイクである。ボクはバイクでさえも掲載された事がないのに〜なんでだろ〜なんでだろ〜である。
←この写真をピロリッとクリックすると少々UPになる。
でもあんなに上品で美しいR107がこのシチュエーションだと、どうしてこんなに下品になるのか・・・ベンツとはつくづく懐が深い乗り物である。そういえば、先日も貴重な70年代の450SEの写真とコメントを下さったとあるDr.の言葉が時代の重厚さを感じさせてくれた。「当時、国産車とは圧倒的に違った時代のクルマで、我が家のエポックメイキングを築いたクルマである・・・」ボクはこのクダリが甚く(イタク)気に入ってしまったのだった。そんな時代の自動車を所有できる事を素直に喜びたいのだ。

5/7
気がついたら一ヶ月も間隔があいてしまったのでそろそろ更新!本日のトピックスはハードトップを完全にしまいこんだ事だろうか。
この夏は幌クルマ(ホログルマであってボログルマではない)モードで完全に乗り切ってみようという魂胆である。早速明日は撥水スプレーを買ってきて梅雨対策である。メルセデスのある生活Vでご紹介したが、内装が比較的順調になってきたところで機能面に目を向けている。ビルシュタインをはじめとする足回りのパーツがトランクに積みっぱなしになっていたが、明日からようやく工場との打ち合わせに入り今月中には決着をみる事になっちゃうのだ。うはうは。
海外からウィンドストップというバカに高い巻き込み防止板もそろそろ到着しそうだし。うはうは。しかし流石に古いメルセデス、うはうはだけでは済まされない。なんとキンキンに効いていたエアコンが突如機能停止だニャ〜。先月代替フロンガスを共同購入しといてよかったよ〜ん。Ezzyさんありがと〜と、いうことである。ACDelcoの「冷却ガス12プラス」フロンの代わりに入れるだけで同じ冷却効果があるそうな!優れものである。その隣はご存知クイックブライト。これは以前、福野礼一郎氏の「革シートの汚れにはこれしかない」的な記事を読んですぐさま購入したのだが・・・やはりこれ裏技であった。もともとサンポールでアルミホイールを洗うなど本来やっちゃいけない事をやると爆発的な効果が得られるなどの裏技大好き人間なのだが、いつもは自ら体得して確立していくものなので突然の見真似は失敗に繋がりやすいのじゃよ。と突然、爺になるほど失敗してしまった。福野氏のバヤイはコノリーレザーという極めて特殊な環境で上手くいったのであり我家自慢の伊太利亜製ソファ君には少々きつかったようである。ビョエ〜ンと泣けてしまうくらいに塗料が落ちた・・・(プロジェクトX風)。今日はホロチャンの少々曇ったビニール窓をお掃除する為にクイックブライト君が大活躍!ピッカピカの透明感あるウィンドに大変身したのであった。ぐわっはははははは・・・メデタシめでたし。

4/5 お気に入りアイテム

少し暖かい日があったのでOPENにして車に乗る機会が何日かあった3月・・・このアイテムを購入した。バブルの時期には半ば常識的だった男性用セカンドバッグ(?)。あいつを小脇に抱えて「うっそ〜ホント〜ナウいじゃん!」と真顔で言っていたあの頃の象徴的バッグはいま、若者のあいだですっかりNGアイテムに成り下がった。かといってポケット膨らませるのもカッチョ悪いのだが僕の場合はタバコを吸うのでどうしても手荷物が嵩張る(カサバル)。
 そこでこいつ(写真の袋)!電話、財布(マネークリップ)、小銭、タバコ、ライターがすっきり納まって見た目もカワユイ。偶然の産物だがこうしてヘッドレストにかけておくととても便利な一品である。人が乗るときは後ろにかけてやるだけ。ノープロブレムなお気に入りアイテムなのだ。試してみたのだがオープン走行での高速道路や比較的急にハンドルをきる、ブレーキを踏むといった状況でもOKである。

助手席がちょっぴり寂しい時にもなにやらGOOD!
ストリングスが革で出来ているので質感もGOOD!
エルメスとか言うプリントがついているのでなにやら値段も・・・No Good!

全くフランス人の金銭感覚には頭を捻ってしまう。これさり気ない自慢なのだ。

ところで納車の時からややガサツキを感じるエンジンで、最近アイドリング中の油圧も下がり気味。
107オーナーの勧めで固めのOILを入れてみた。トクットクッ・・・
OH!今までのフィーリングはなんだったんだ!超滑らか5000cc。ブッ太いトルクを生かしたスーパーエクスプレスに生まれ変わった。
おもわず遠回りして帰っちゃった(^^;
Mercedes Benz 500SL、最近すっかりはまっている。


3/30 手紙を書こう!
最近めっきり電子メール。手紙なんか書くことがなくなった。
しかしそんな今だからこそ手紙なのだ!天邪鬼のボクは筆不精だったくせに世の中がこうも筆から離れると、むしろ珍重したくなるタイプ。
 昔、愛用していて最近はめっきりご無沙汰していた万年筆をやおら引っ張り出してインクを詰めた。机の奥にしまいこんだ万年筆を今改めて使い始めると・・・
ボールペンとは全く違うなんだか、こう・・・
イングランドな気分である。

万年筆がイングランドかどうかが問題なのではない。
歴史的、儀式的な厳かさというか・・・ロケンローなアメリカンでなく剛健ドイチェでもなく、気位の高いイングランドな気分なのだ。そう、まるでロールス・ロイスな気分なのだ。(ん〜わからん)
しかし、最近手でお手紙を書いていない人にお奨めする。

E-Mailだと無味乾燥として伝わりにくかったものが手だと伝わるのだ。なんでだろう?

だからお手紙書いてみよう!誰でもイイのだ。
お気に入りの万年筆と封筒。そして・・・ちょっと気取ってシーリングワックス。
許される歳になったでしょ?これくらいは。



3/28  天気のいい日は早起き&洗車なのだ!

・・・というわけで、洗車である。なんとお隣さんも天気が良いと朝早くから洗車しているお父様である。共に日中は普通のサラリーマンだが、ことモータースポーツとなると缶ビール片手に朝から洗車&クルマ談義となる。ボクにとっては恐ろしく好都合なお隣さんである。最も経済力に関しては、ボクとは比にならないが・・・
 なぜならお隣さんは個人事業主で、ご兄弟やご実家も某有超名チェーン店や超有名雑誌社のオーナーだったりするので土台サラリーマンとは、住む世界が違う方なのであるが、同じ区画に住んでいるので「住む世界」は同じなのだガハハハハハ!
 さて、お隣さんは525Mスポーツ。昨年夏まではメルセデスだったが5シリーズがモデルチェンジする直前に急遽購入されたのである。車の選択方法がいかにもクルマ好きである。やおら缶ビールをやりながら朝っぱらから大の大人が「あ〜だ!こ〜だ!」いいながら洗車するのはとても健康的である。
 我家の細君はもとよりお隣の奥様も当然車には全く興味を示さず・・・(^^; 決して快く思っていないだろうことは想像に難くない。しかし一般に男性も女性も結局は同じである。
「手がかかるけど・・・かわいいんですよ〜」クルマ好きは言う。
しつこいが、なににおいても手がかかるのに可愛いわけがない。これは「オレって凄いクルマに金かけているんだぜ!かけられる金があるんだぜ!」と言っているに等しい。つまり自己満足である。
「もう〜ウチの息子ったら・・・勉強が出来なくて・・・ようやく開成に受かりまして、いえいえ、ギリギリでしたのよ〜。うぉっほほほほほ・・・」マダ〜ムは言う。
しつこいがギリギリかどうかなど解るわけがない。その前に勉強が出来ないのなら開成を受験するなと言いたい(怒)。すなわち「うちの子は、私に似て頭が良くて、あまり真剣に勉強しなかったけど開成受かっちゃいました〜」と言っているわけだ。
であるからして、ここはひとつ50歩100歩であると言いたいのだ。奥様の暴言を許すから僕たちのわがままも許して〜


3/15 My Birthday・・・
なのだ!出張だったのでどうでも良いが、ここのところSLにばかり気がいっているので、ここらでちょっと本質に戻ろうと思いガムバって最近の出来事にチャレンジである。
 最近は家のPCを使って入力する機会がめっきり減った為に、どうもキーボードのストロークに馴染めない。ノートPCのショートストロークに慣れてしまったせいかミスタッチの連続で辟易である。
 さて、今回はこちら!
アテモヤである。森のアイスクリームと呼ばれる果物でナンカとナンカを掛合わせた物(なんじゃそりゃ)らしい。自他共に認める甘党のボクとしては一度食してみたかった幻の果実である。
 アテモヤとは世界三大美果のひとつのチェリモヤとシャカトウを人工的に交配してつくられたようである。しかも糖度はメチャメチャ高いので期待感大!なかなか高価な果物であるが今回は、思い切って食べてみた。
 10個入った箱入りが1500円と思いきや15000円だったりするのであるが、「一個だけ頂戴」と、お願いしたところ1500円で切ってくれた。全く安くはしてくれないところがいかにも観光地である。さて、ヌルッとした感触でスプーンが入り・・・パクッ。
OH ! これは紛うことなく果実である・・・いや、バニラアイス・・・いや、やっぱり果実である。
しかも甘い!これはスイカのようにペッペッと種を吐き出しながら食べるのであるが、なかなかオツデアル。かなり不思議な果物であるが、ハッキリいって一度食べてみる価値はある。何故なら二度はいらないからである。
しかし一度も食べたことがないというのも少し寂しい・・・そんな果物。
 恐らくはものすごくビタミンが豊富できっと健康にはヨサゲである。実際には鉄分もさることながらナイアシンというビタミンB3のオーダーが尋常ではない。しかしながらこいつはブッタギルで紹介しているが、水溶性のビタミンなのであっという間にオシッコと一緒に便所に廃棄している。含有量が多いからといって大騒ぎする必要はない。美味けりゃいいのである。
 だが、「森のバニラアイス」が先行した状態で食べると思わず落胆するので、なんだか珍しい果物だと思えばいい。それだけで十分に食べる価値はある。
過去に一度だけ「15年物」とかいう納豆を食べたことがあるが、ハッキリいってただの古い納豆だった。冷蔵庫に二ヶ月も入れっぱなしにしておけば同じような食感は味わえるといったもので、何事も期待感が大きいと落胆もデカイのである。
 落胆といえば1968年のイタリアワイン、1976年のシャトーラトゥール・・・皆、ボクに多大なる落胆をもたらしてくれた一品達である。


 *アテモヤ: 英語ではカスタードアップルと呼ばれ珍重されている。日本では沖縄のような熱帯で栽培することが出来る。沖縄では10月〜2月に収穫されるが年明けが一番おいしいと言われている。沖縄イキテ〜ナァ〜

3/10
OpenCarに乗るということ
これはある意味勇気が必要である。
ある晴れた週末、ボクは限られた時間のなかで髪を切ることにした。夕方にはいつもの出張に出かける為に羽田へ向かわなければならない。そこで11時位にいそいそと一人Openで港北ニュータウンへ向かったのだ。
せっかくなので、ピカピカで乗ろうと全自動洗車機に頭から突っ込み(ちょっとももったいないか・・・)きっちり水気を拭きさってから。
気分はパーフェクトである。お気に入りのイタリアンカジュアルでばりっとキメてちょっとおポンチにジャズなど聴きながらのんびりと住宅街を流していたのだ。しかし・・・しかしである。車内という隔絶された空間が織成す快適性がまるでないのである。バイクと同じかと思いきや、バイクはヘルメットが外界との隔壁を形成していることからあまりさらけだされている感覚はないが、このオープンカーというやつはなんだか「丸腰」的な感覚が付きまとうのだ。
後ろから見ると、ちょっと昔のブルーバードUにも見えるが、正面から見るとやはり目立つ。気のせいかもしれないが若干の、ものめずらしさも手伝って注目される頻度は高い。
ロードスターからの派生を感じさせる部分だが思いの他、アイポイントが低く通行人から見下ろされている感じだ。しかもクシャミなどしようものなら歩道まで丸聞こえ。
「あのバカ、寒いのに無理しちゃって、プップッ・・・」
と思われているに違いない。



2004 2/4
実物はとても優雅である。車高は低くボクのような一見さんを寄せ付けない・・・まるでオチョウ婦人のようである。
後ろ姿は低く左右にボリュームのあるかなりお色気たっぷりのたたずまいである。
ドアの開閉はいわゆるベンツのそれでしっかり閉めなくてはいとも簡単にはじかれるが、しっかり締めたときはヴォムッ+ガチャという重厚で頑丈な音色である。サスペンション、シフト、加速そして窓の開閉に至るまで全てがゆっくりと反応する。左の隅に追いやられたオフセットの強い運転席には、重く細くデカいステアリングが直立しておりそのすぐ後ろにメーターパネル。メーターも文字が光るのではなく黒い計器版がほんのりオレンジ色の電球で照らされるといった趣きあるものである。全てが新型サニーより重く遅いマイルドな反応である。
唯一どんな新型機種にも負けないのはシート。その高級感は自動車のそれを超越している。細やかなパーツまでもが高級なアンティーク家具のようにメッキの真鍮で出来ている。嗚呼・・・ため息混じりにぼんやりと眺めることの出来る数少ない車である。
ボクのような若僧は決して似合わないだろう。

2004 1/27
またまた更新間隔があいてしまった。いままで「今日の出来事」だったのを「最近の出来事」にしてしまったのが原因だとボクはニラんでいる。さて年末から今日に至るまで「何かなかったかい?」と聞かれるといろいろとコネタが有り過ぎて困惑してしまう。
 さて、年末は脅威の食欲にて8kgも太ってしまった。この間、約二週間であるからこれは恐らく短時間での最高記録であろう。現在はやや落ち着きを見せ夏場の4kgUPにとどまっている。そんなことはどうでもいいがここのところ自動車の代替で右往左往していたのである。
 来年の夏に車検を迎えるということを確認した僕は、来年の夏に向け自動車購入計画を展開した。この自動車選びは男にとって最高の道楽であるとともになかなかチャンスもめぐってこないものである。出来れば一年中自動車選びで悩んでいたいところであるが買いもしない自動車を選ぶのはリアリティーに欠け面白くない。さて、今回は数年に一度のお楽しみがやってきたわけである。これから夏に向けて大いに悩むことが出来るのだからこれは考えるだけでウキウキするものである。
 どういうわけかまずはヤナセと日産から軽く1ラウンド開始となったがBBSでお分かりのように今ひとつ盛り上がらない形になる。まさかこの不景気な時期に気前よくフルオプションの見積もりを取ると、はなから信じてもらえないようである。
「オイラは駆け引きが嫌いだから、一発で価格出してよ。今度来る時は決めた時だからネ」
 こんなセルフを吐くとバブル期にはしつこいほど車を貸してくれたものだったが今はそんなことは無いらしい。
どこか「お気に召したらどうぞ」と言う感じに近い。いよいよオイラも週末の盆暮れ(ボンクレ)ドライバーに成り下がった以上、ここは1つミニバンでも買ってやろうかと思ったが・・・本気で考えたが、よすことにした。なぜなら一見安そうなミニバンであるがなんだかんだで350〜400万円の出費である。しかも6年で下取りがなくなる事を考えると決してリーズナブルな価格ではないし、ましてや元来自動車好きを看板にしてきた僕が、車に興味のない人が買う「よく出来た家電製品」のような自動車に乗ることは、今まで嘘をついてきた事になるような感覚に陥ってしまうのだ。しかし流石に今回は、「10年くらいはのりたいな」という車に出会いたいと考えたのは、もちろん経済的な理由からだ。いままで数多くの自動車に乗り経済的にかなり家計を圧迫してきたことはいうまでもないが、そろそろ無理な買い物は終わりにしたい。
「10年乗れる」これは簡単なようだが実は非常に簡単だったりする。
今時の自動車は20万キロ10年なんていう耐久性は持ち合わせていて恐らくは何の問題もなく走りぬいてしまうだろう。すなわち機械ではなく問題は心にある。10年経っても飽きさせない魅力とステイタス、愛着を持ち続けられる車はそう多くない。次から次へと新型の自動車が発売されどれもが程よく魅力的であるから3年経ったら食指が動くのは至極当たり前の事である。
 そこで今回はものすごく考えた挙句・・・すでに古くて、それでいて魅力あるクルマにしようと決めたのである。(我ながら凄いロジックだ!)
2003年12月・・・古いクルマ、趣味性の高いクルマ探しが始まった!

2003 12/25
確かに世間にはイエスに世話になった人がたくさんいるようで皆が祝うようであるクリスマス。ボクには一切関係ないうえ普通に過ごすことが罪であるようなおかしなプレッシャーが大嫌いである。少なくともゴーダマシッタルダの誕生日のほうがボクには謙虚に思えて好感がもてる。それは謙虚過ぎて国民の誰もが知らないに違いないが、それくらいで良いのである。
 噂に聞いていたのでインターネットで覗いてみたのだが12月24日のスーぺりアなゴージャスホテルは一泊何万もする部屋が軒並み満室である。「この底の浅い国民性には本当にウンザリなのだ!」と辛口を叩きたくなるほど羨ましい〜。
 さて、ボクはせっかくのクリスマスだが仕事で中途半端に遅くなってしまったので急遽、弟とゴージャスに飲むことにした。
「もしもし・・・今日は遅いの?」
「ああ。忙しいね・・・」電話の向こうから聞こえてきた雰囲気から察するに、どうやら弟は受話器をあごと肩にはさんでなにやら書類をめくっているようである。

「お兄ちゃんと会うのは久しぶりだから飲みに行こうか?」
「どこいくんだよ?」
「ん〜銀座かな〜ね〜いこ〜よ〜」
「チッ・・・わかったよ。今から10分後に下りるからタクシー拾って○○の前で待ってろよ。  ガチャ プープープー」
この時の弟の心情は「まったく兄貴の野郎、貧乏サラリーマンのくせに色気づきやがって」といったものであろう。流石にボクはお兄ちゃんなので、リアクションからお見通しなのだ!がははははははまいったか!
 と言うわけで合流するやタクシーに乗り込み銀座へ直行した。タクシー代くらいは僕が払おうと財布を開いた途端に弟がサラリと払ってくれ、更にそれじゃタクシー代もないだろう?とボクに2万円のおこずかいをくれた。まったく良く出来た弟である。やはり兄へ対する尊敬の表れであろう。当然、ボクにはいけない高級クラブもすっかりご馳走になったわけである。
良いお兄ちゃんを持ってお前も幸せだなぁ〜がははははは!
・・・なんだか情けない気がするのはボクだけであろうか?

2003 11/23
今日は久しぶりにバイク店に行ってみた。何か言いバイクはないかなぁと目的もなく訪れたわけであるが、別段触手を動かされる出物はなかった。いや、厳密にいうと昔興味があったトライアンフのアドベンチャー(レアモノ)なんかがあったが、やはりニンジャがおもしろい状況下なのだろうか、グラッと来るものはなかった。これはけっこう珍しい現象である。珍しく何にも跨らずに店を後にした時・・・なんだか一発死んでいる感触が。ドリュドリュとV型エンジンのような不等間隔のビートとともにトルクが痩せている。
「・・・な・なんだ!」きっとかぶらせたのだと思いレッドゾーンまで引っ張ったが今度は信号でアイドリング中バックファイアーが発生。
「ヴォヴォヴォヴォヴォヴォ・・・パン! ヴぉヴぉヴぉヴぉヴぉヴぉ・・・パン!ヴォヴォヴォヴォ・・・パンパンパン!」
後ろの車ごめんなさい状態である。
早速自宅近くのカワサキへGO!
二時間後すっかり咳き込みもなくなり元気になったのだが、結局はニンジャにありがちな一番プラグに水がたまって腐っていただけである。ニンジャの常套句でもある一番プラグへの水進入である。全部交換して4000円ですっかり元気を取り戻した。
聞いてはいたけど、ホントに雨の日のカバーを怠ると意図も簡単に発生するトラブル。なかなかやるもんである。

2003 11/12
 週末、箱根温泉走りまくりツアーを開催したのでここにメンバーを報告する。
 参加者の一人目は立派な大人のMr.Kである。立派な大人であるはずだが、バイクに跨るとこれがバヒュ〜ン・・・詳細は割愛するがこの日、国家権力に果敢にも挑み警告を受けていたもっとも若者チックな最年長である。峠では後から皆の様子を伺いながら殿を担当することに専念している。愛車FJR1300といえばヤマハ最大級のメガツアラーである。どこかおかしいと睨んでいたら案の定、帰路の高速道路では最後尾から一気に前方へワープするシーンを何度も見かけた。1300ccという巨大なエンジンはトルクが相当あるに違いない。ここではとても明確に描写するわけにはいかない速度域でのバトルは、・・・やっぱりこのおじさん変!といったところ。

  ↑Mr.K氏
←出撃前にちょっとしたハプニングがあり大きく出遅れたグラマロ
しかしその怒涛の猛追で約束の時間通りにダイカンヤマへ到着したのには我ながら驚いた。新記録更新である。
さて、今回は久しぶりにヒザにスライダーをつけてバリバリいこうと思ったのだけれど先週のドロンパツアーで鋭重朗のバンク角が意外に浅いことに気づき今回は思い切ってヒザをすることを主眼にチャレンジしてみた。
箱根のオレンジロードなるコースは初めてだったので大きく旋回する低速コーナーに狙いを定めてイケ〜!
低速は転んでもダメージが少ないから大丈夫だ〜!

ガンッ・・・大丈夫だ、ステップだ!まだいける・・・あれヒザに感触がこないな?ザザ〜ッ??
ステップの次はヒザではなくアンダーカウルである。おろろ〜ん傷つけちゃった〜状態である。ニンジャ乗りは皆が皆、アンダーカウル外してバックステップつける意図が理解できる。BT012はどうか?アンダーカウルが接地するところで端までしっかり使っている。つまり・・・ボクの短い足ではこのバイク、フルバンクしても地面に届かないことが判明。これ以上意地になる必要もないのでここらで辞める事にしたのであった。若かりし日のヒザガリガリフルバンクを思い出し・・・そんな年じゃないもんね(^^;といって聞かせる

↓「立川の赤い彗星」別名「甲州街道の火の車」。ボクが以前に結成していた「爆音系12Rトリオ」の残党、ナイトロハギーである。
彼とは個人的に長い付き合いだが、人は見かけで判断してはいけないとボクに思わしめた男である。こじんまりとしたシャープなフォームがブッ太いリアタイヤと絶妙にマッチする後姿が特徴である。「ティーム・ドロンパの会員」を所望したがうっかりバンソンの「フライングフラッグ」を買ってしまったようである。あの後姿は戦闘機を思わせカッチョヨイのだがナイトロレーシングが吐き出すガスがガソリンくさくて気分が悪くなる。残念ながら彼の機動力は爆発12Rであるからして、彼の前に出ることは困難極まるのだ。
 典型的なリーンウィズで旋回するナイトロハギーはバイクを降りると、細身の体でダブルのスーツを着込み、腕にはブルガリのクロノ。黒と金のデュポンから立ち上がる大き目の火でタバコに火をつける姿はホストとか・・・つまり労せずして大量の金品を流通させ膨大な利益を上げている限りなく怪しい人間に見える。中学生の頃は絶対に暴走族だったに違いない。

↓ボクと同様、80年代を飾った名車で登場したのは「OIOI」
ホイール、キャブ、マフラーにブレーキ・・・ノーマルの匂いが全くしないが走りはいわゆるカタナであるのだろう。彼はこの日のために納車してきた。つまり今日は筆下ろしである。
 空冷1100の暴力的なフィーリングとサウンドは、やはりシビレルものがある。わずか200mであるが学生時からの憧れカタナに乗ってみた。気分は秀吉である!CB-R1100とカタナ、Z1-R・・・理由はわからないが、とにかく文句のつけようがないバイクだ。基本的には古い設計なので新型の600cc級のバイクにだって後塵を拝するだろうが、この辺りのバイクについて絶対的な動力性能云々を語るのは、全くナンセンスであることは周知の事実である。
 OIOIは一日中、ハンドルの切れ角とバンクの関係についてトライアンドエラーを繰り返し検討していた。早くスムーズに曲がるためにはどうしたらいいのか?彼のあくなき研究は続いた。
 僕が知る限り、あれだけの探究心は仕事に発揮されていない。


→本日の水先案内人はこの人ボリちゃん
独自の世界観を持つ彼の前にボクは絶句した。いや、厳密に言うならば僕だけではなくかの「ぶんぶん氏」も大爆笑の男である。ボクのモーターサイクルサイクル(バイクのサイクル)も短いことで知られるが彼の場合もかなり短い。よくよく考えると僕が12Rに乗っていた頃、彼はRF900R。ボクが883Rの時はBAJA、そして今回ボクがニンジャになるや彼もGSになっている。「なっている」というのはウソである。何故なら購入のいきさつを肉眼で確認したからだ。
 
エピソード1:善良な市民ボリ・シェーンは休日仲間とハンドボールを楽しんでいた。午後、友人達とどこかへいこうと計画していたところに携帯電話が鳴る。
 「もしもし・・・オレ、グラマロ!お茶しなぁ〜い?」
一時間後、60kmも離れた喫茶店に向かって雨の中バイクを飛ばす二人の姿が目撃されている。当然、ニンジャとBAJAである。コーヒーを飲むためにそこまで遠方に向かう彼らはたくましい!・・・と思ったが、50km地点でグラマロが、雨がひどいのでやっぱ帰ろうと提案する。しかしボリ・シェーンはしっかりカッパを着用しやる気満々である。かくして2h後二人はキッチャテンのコーシーにありついたわけである。そこへ突然ブンブン氏現る。
「OH〜ボリちゃん!君に見せたいものがある!フォローミー」
いきなり暖機運転に入るブンブン氏に我々もついていった。喫茶店から5分ほどで着いたのは閉店時間を過ぎた赤男爵だった。が、ブンブン氏はかまわず入り込んでいく。店員さんもブンブン氏の傍若無人ぶりを良くご存知のようである。
目に飛び込んできたのは、ボリちゃんが前から欲しがっていた淡い黄色のGSであった。

ブンブン「いいね〜これ!ね?いいでしょ?グラちゃんもそう思わない?」
グラマロ「最高だな!これは文句のつけようがないでしょう?これ新車?マジ?これで中古なの?」
善良な市民ボリ・シェーン「ムムッ・・・(汗)」
ぶんぶん「やっぱこれだよ。こんな程度のもの見たことがない!」
ぐらまろ「そうだよなぁ・・・感動だ!(涙)」
ブンブン「感無量だよね・・・(男涙)」
善良な市民ボリ・シェーン「ムムッ・・・(汗)」

この状況下において最もさめていたのは赤男爵の店長であった。ボリ・シェーンは10分後カウンターに座って店長となにやら話し合っている。ブンブン&グラマロはこの時、ボリ・シェーンそっちのけで展示してあったCB-1100Rに釘付けになっていた。
ブンブン「ちょっと勝手に跨らないでよ!オレ買うんだから!」
グラマロ「いいじゃん!展示してあんだから。オレの自由だ!」
ブンブン「ダメだって!俺が買うんだから!」・・・子供の喧嘩はしばらく続いた。
突然、二人の背後からボリシェーンのこんなセリフが聞こえてきた
「・・・どうもこうも、とりあえずイッちゃって下さい!」
一台の旧車をめぐって争っていた幼稚な二人はピタッと止まって顔を見合わせた。
「Gyahahahahahahahahahahahaha・・・」
来店15分で100万円の衝動買いをした男の勇気をたたえた。

以上がボクの異常なツーリング仲間である。それでもかまわないという奇特な方はどしどしメールくだされ。
メンバーの紹介は終わった。肝心のツーリングの中身はどうだったか!カニ・すき焼き・温泉・別荘であった。これ以上はもったいなくて・・・口が裂けても言えないのである。

2003 11/03
本日、帰還したツーイベントはまたの機会に・・・また?股!股といえば・・・
大変なことが起きたのである。ワタクシのヤフトピ仲間のHPには娘さんが大きく成長することによって生じる喜びと寂しさが見事に描写されているお気に入りの行(クダリ)がある。
「この世に生を受けてからもう12年が経つんだね・・・。ほんのこの前、幼稚園だったのに・・・」
この「ほんのこの前、幼稚園・・・」まさにこれである。つまり幼稚園児はかわいいもので父親という概念ではなく全面的に甘えてくるので、実にかわいいのである。
しかし!
ドンドン大きくなって自我に目覚めてくると一人の人間になってゆく。手がかからなくなる事は、楽になると同時に必要性が薄れたような錯覚をもたらす。日本中のパパが感じていることなのかもしれない。
さて、いまもって身長差が20cm以上ある小娘のジーンズとボクのパンツがたまたま並んで干してあった。

よちよち歩きの赤ちゃんはあっという間に右のジーンズになっている。ちなみにボクはこのパンツ、靴がないと裾を踏みつけそうになる長めのものである。彼女のはジャストサイズ。
ウェストも身長もはぜんぜん違うが足の長さはほとんど同じなのである。この世に生を受けてからまだ11年しか経ってないのに・・・である。目下の夢は僕を高い視線から見下す事だそうです。このままで行くと、どう考えてもあと2年で同じ視線になるでしょう。
嫌だなぁ〜も〜!

2003 10/28
何なのだろう!本日、大変不甲斐無い思いをしてしまった。まったく自分に腹が立つ!大体ボクは昔からそうなのだが、依存症が全く治らない。タバコもやめられないのだが・・・またまた、手を出してしまった。
ダメだってあれほど言っているのに・・・
駅を降りても、そこはいつも閉店後に通過するので全く問題ないのだが、今日に限って開店中に通りかかってしまった。
KFC・・・つまりケンタッキーフライドチキン!
田舎の小さなガスステーション、そこに来る常連客に対してアルバイトだったカーネル少年がサービスしたフライドチキン。
やがてアメリカ中の人が、「指を舐めたくなるほどおいしい」と賞賛し現在に至る、成人病まっしぐらの毒性を持つ、マリファナ同様に強い依存性を持ち、気がついたらけっこうなお値段になっているインチキファーストフード級の他では再現性の低い独自の調理方法とスパイスを持つ危険食品の代表格である〜(あ〜主語が長〜い)である。
何を隠そうボクはケンタッキー中毒なのである。しかし更正施設に入ってからはすっかり依存症も治まり85kgあった体重も現在では74kg。まだまだベストの65kgには程遠いがこれでも随分人間らしくなったのだ。大学生の頃はここでアルバイトをして毎日深夜になると時間切れチキンを頬張っていた。当時は4時間の賞味時間を過ぎるとアルバイトたちの餌になるのであった。ボクは依存症が激しく3時間15分位で処分していた(・・・時効です)。しかもペロッと3ピース。もう・・・馬鹿丸出しである。最近、前を閉めようとするバンソンのジッパーが絶望的に遠い。とほほ・・・


2003 10/21
BMWの妙技にはいつも驚かされる。魅了される側の人間が、思いもよらぬ行動(詳細は後日)にでるのもうなずける。ボクはかつて525というBMWのミディアムセダンに乗っていた事があるが、そいつはバランスに優れ、冬道を夏タイヤで走れたものだった。つまり、すべり出す時も姿勢を崩す時も前後50:50のウェイトバランスで造られている自動車の挙動は非常に安定しているからである。自分を中心にゆっくりと回転し始めるのでカウンターをあてるだけでスピンを回避できる。普通はがんばって、がんばって・・・ある一点を超えた途端にズルッと来るのですべりはじめの速度が速く対応が難しい。しかしバランスの取れた車はゆっくりとクル〜ッと回転を始めるので精神的に安心である。
 
 今回驚いたのはモーターサイクルである。センタースタンドはご存知か?オートバイに興味のない人にとっては苦痛な話かもしれないが、要するに車体の中心にあるスタンドである。通常のオートバイはエンジンのある前方に傾き前輪を着いて安定しているものなのである。つまり前輪とスタンドでバランスを取っているので、後輪が浮き上がった状態なのである。面白かったのはBMWは後輪とスタンドで立っていた。「めずらしい〜」と観ていたのだが・・・驚きの事実が判明したのは、バイク屋の店員さんがバイクの後ろについているパニアケースを外した瞬間だった。通常の車体に戻ったBMWのオートバイはゆっくりと前輪を床に着き、同時にゆっくりと後輪が浮き上がった。ガタッとではなくスーッと、ふんわりなのである。
 
 剛健なセンタースタンドが限りなく真ん中でバランスをとっているから当たり前と言われればそれまでだが、250kg以上もある巨体がフワッとバランスが取れている様は、ちょっと信じられない光景であった。不安定にならないようにあえて微妙に前輪側に振っているのだろうが、ほぼ49.9:50.1のバランスである。前輪を交換しようと思ったら小学生の女の子が指一本で車体後部を押さえていれば前輪が浮き、その指でシート下端を持ち上げてやれば後輪の交換が出来るのである。センタースタンドのピボットはライダーが着座する丁度真下であることから、ライダーが乗車している時も限りなく前後のバランスがとれていることは想像に難くない。感動しきりであったが急にこんな事を思い出した。

 何年前だったろうか?ボクは降雪量の少ないある雪国でBMWを運転していた。12月だというのに雨が降っていたが、夜になってから急に冷え込んで町中の道路に薄い氷が張った状態になった。町中の車がスタッドレスで走行しているのもかかわらずボクは夏タイヤのまま近所のコンビニへ向かったわけである。200mほど先の赤信号が青に変わったので加速しようとアクセルを踏んだ。このとき、すべる事を予測しながらあえて強くアクセルを踏んだ。クル〜とゆっくり滑り出した。交差点に差し掛かった時はほぼ真横を向いたままだったがカウンターをあててもいっこうに修正できない姿勢にいっそ強く踏み込んでみた。交差点を過ぎた頃には真後ろを向いていて後ろを走っていたタクシーと顔を付き合わせた。ここまで回って約5〜6秒だったと思う。さらに回り続け交差点を50mほど通過して同車線からはみ出すことなく元の位置に戻った。約10秒間のメリーゴーアラウンドであるがBMWのバランスのよさを体験した「たのし、ひやあせ」なエピソードである。
 もちろん「今日の出来事」ではないが・・・


2003 10/16
本日、一週間の遠征から帰還しただいま納車後初の走行を完了しました。こんな深夜なのでのんびり行こうと思ったのですが・・・250のオネーチャンに煽られて一発捻ってきました。「ふわわkm」まではすんなり真っ直ぐに加速!883の後だとえらくスムーズでトルクフル。最新鋭機かと思ってしまいました。自動車のような滑らかなエンジン(883比較)と剛性感で安心の長距離ツアラーですね(あくまで883比較)。80km/h位からのアクセルオフでハンドルがブルブルきますが軽く手を添えておけば問題なく・・・ステダンは不要かと感じるほどです。
鋭重朗(A16)は以外にもペタンと寝るタイプで12Rとはまったく違った次元のバイク。これはこれで面白く、なんといってもアクセルをひねる事が出来るのはバイクらしくて良いです。
 さて、最近はごたごたと多忙な日が続きましたが今週から更新に精でも出すか。


2003 10/10
「ここに写っているこいつぁな、鋭次といってな・・・」
喜多川は目尻を下げながら一枚の古い写真をボクに差し出した。
彼がまだ大学生だった1985年に米国で活躍した日本製らしい。
喜多川は続けた・・・「オラよ。こいつに憧れてなGPZ400Fってえのに乗ってたんだ」

 更に喜多川は鋭次との出会いをこう語る。
「TOPGUNって映画を8回も見たんだ。どうしてかって?あるシーンが気に入ったからよ!」

バーにてピアノが奏でる8ビート、いつしかそれは60年代のロックンロールにクロスオーバーし、画面は港をタンデムで走る鋭次の姿にフェイドする。横乗りしている彼女への気遣いからか鋭次はしなやかなサスをゆったりとストロークさせながら優雅に走る。
その泰然自若(たいぜんじじゃく)とした姿に一撃でやられた・・・と喜多川は言う。
 私も同様の考えを持っているが、残念なのはその後帰国した鋭次は「キリン」という一つのジャパンカルチャーの中で本質を変えてゆく。袖をCutOffしたGジャンにシンプソン、チャップスといったイデタチで第三京浜をカッ飛んでいる。ワイルドな中にある優雅さが「バトルスーツ」という名のファッションにぴったりマッチしたのかもしれないが、本来の鋭次はそういうやつじゃなかったに違いない。そして鋭六助(永六輔とは無関係である)で全盛を迎える。
 今夜、喜多川のもとにとどいた彼の名は
「鋭重朗」という。鋭次の末裔(まつえい)である鋭重朗に喜多川は何を求めるのだろうか。かつてスレイプニルに嘲笑された過ちを再び繰り返さないためにも新しいスタイルを見出して欲しいものである。
 最後にミカンについて喜多川に聞いた。「不満はなかった。だから何も語らないし、だいたい最初から言っていたじゃないか」
私の調査によると喜多川は確かにミカンとの出会いを語ったとき、その事をNet上でほのめかし(最後の部分に注目)ているではないか。愕然とする私に喜多川はこう付け加えた・・・
「ミカンとオレは最高のコンビだったのさ。だからこうして奴はオレに最後の
いたずらをしたのさ・・・」
喜多川の視線の先には鋭重朗のナンバープレートが。そこにはミカンからの「悪ふざけ」ともとれるアイロニカルな数字があった。
どうみてもあの数字は
「KAWASAKI は、皆ハーレー」としか見えなかった。

2003 10/03
 今日もミカンは元気である。そろそろ秋の気配で全身革に身を包んでも汗ばまなくなってきた。まさにバイクの季節到来である。今日久しぶりにバイク屋へ足を運んだ。久しぶりにバイク店をウロウロするのは楽しい。今日知ったのだがミカンちゃんは既に完売し04年モデルは無くなってしまうようである。エボルーションエンジンは今年で完全に販売を終え、来年はまったく新しいラインナップになるようである。つまり旧態然とした鉄の塊ドコドコエンジンは今年を持って終了となり、あわせて883Rもデリバリー2年という短い運命が決定しているようである(プレミアの予感!)。
 もう一つ消えゆく命があった。GPZ900Rである。

それは1984年から都合19年間販売が続いたバイク界のポルシェ911といったところか。ボクとGPZのかかわりは深いと勝手に思っているのだが900Rだけは一度も乗ったことが無いのである。1985年、近所のバイク屋に出入りしている社会人のおじさん(今のボクよりわかいのかなぁ)が900Rとエリミの900を所有していた。学生のボクにとっては今のランボルギーニくらいの価値があるバイクである。70円のコーヒー片手にバイク談義を聞くのが楽しみであった。
 ニンジャ・・・とりもなおさずこいつを指す言葉。ん〜無くなってしまうのか。ん〜欲しい・・・
ミカンは大変人気なのだそうだ。嫁に出すなら・・・今か・・・ナンチッテネ!

2003 9/27
その国は皆、ロールスロイスやベントレーに乗っている。二輪車はBMWやドカティー、ハーレーしかない。一世帯辺りの収入は日本円に換算すると5億円くらいだろうか。家の屋上にヘリポートがあり、各家には一家に一台のヘリコプターがあたりまえだ。
学生に一番人気があるのはフェラーリやランボルギーニであり、学生の卒業旅行は月に行くことがブームだという。海に行けば個人所有の原子力潜水艦がハーバーを埋め尽くす。
その国の国民は休暇を過ごすために日本へやってくる。日本には彼ら相手の金目当て的レストランがたくさんあるが、とても行く気がしない。そこはコーヒーが一杯\15000で納豆定食は\20000。すき焼きは\80000もするから普通、日本人は立ち入らない。
彼らの過ごすリゾートには多くの日本人が働いている。皆、サーの称号を付けて満面の笑みで丁寧に挨拶している。
日本人は時折、スズメやトンボを捕まえてはその国で売る。アゲハチョウは生きていれば一匹¥50000で買ってくれる。その国の店頭では一匹約\100000の値が付いている事も珍しくは無いようだ。
現在、草木をそして雪を見るためにやってくる彼らの為に国は一大リゾートを作り上げて順調な利益を上げている。現在、成田空港〜女満別空港行きの777は一日に15便。早朝から深夜に至るまで飛んでいる。女満別空港周辺には、お台場以上の華やかさと一泊30〜80万円もする高級ホテルが軒を連ねている。
僕は今、そのリゾートでバーテンダーとして働いている。
目の前の男の客はにこやかに一杯二万円もするカクテルを何杯も飲んでいる。

僕は来週、南方の小さな国にあるリゾートに行き、この男と同じ事をしてやるのだ。

2003 9/18
以前にも書いたがHPのアクセス数と走行距離には不思議な関係があった。ここのところあちこちのチョイ乗りで距離をのばしていたためか、走行距離が優勢であった。リザーブでドキドキしながら走るのを極端に嫌う僕はいつもメーターにはナーバスになっているが・・・
 本日帰宅後に何気なく「まだ60kmか余裕だね〜」なんつってメーターの表示を久しぶりに切り替えたらなんと4000kmを少し上回っていた。
「ありゃ〜」気づかないうちに4000kmに達しており4000の瞬間を逃している。
 ちなみに一ヶ月ほど前に3333のフィーバーを目前に控え第三京浜の料金所前で
「おっといけね〜うっかり入ったら写真撮りにくいぜベイベ〜!グフフ・・・そろそろ・・・」と視線を落とすと
3335の文字。
一気に落胆である。
この日は準備したデジカメは電源すら入らなかった。
・・・で今日、HPを開けたら4000を少し越えているではないか!?
絶妙なバランスでアクセス数と走行距離が相関し続けている。この均衡はいつ破られるのかとっても興味がある。
逆に言うと日本一週旅行にでも行ったら急にアクセスが増える可能性をも秘めていることになる。ん〜大変興味深いのだ。
しかし考察すればするほど「偶然」という答えが明確になるのみである。

2003 9/15
はいはい。おめでとうございやす〜19:30頃私は丁度バスで阪神高速にいました。大阪の町に変な波動が走りました。バスの中では客が
「なんや決まったンちゃうの?」
バスの中は鳥肌の立つような異様な雰囲気になっておりました。本当にこの時、「おっちゃん」と「おばはん」は不思議な空気に包まれていました。皆がいっせいにボクを凝視します。携帯電話をなにやらいじっていたからでしょう。実はこのときボクはテトリスに興じていた。しかし周りの目がボクを見ている。
あわててi−モードに切り替える。携帯版ヤフーに切り替えたとたん
・・・「NEW・阪神優勝」の文字。
社内に向かって僕は知らせた。周りはジ〜ッ ボクは「か・勝ちましたよ・・・」
隣のおっちゃんが「そやなくして、ヤクルトはどないですの?」
「負けたみたいで・・・」
ドッカ〜ン!!バンザ〜イ!車内はボクの一言で爆発した。・・・恐るべし関西。

2003 9/11
ナイン・イレブンである。今ほど丁度ニューヨークの午前である。(第一章終わり)
本日、愛媛県松山市から帰還したところである。非常にさっぱりとした街でボクは非常に好感をもった。四国の街はどこもそうだがオーバーにデコレートされたところが無く日本とはいえどこかヨーロッパのごときサラリとした街並みである。まあ、「新宿・渋谷・池袋が大嫌いなだけでしょう」っと言われればそれまでであるが・・・
 さて、今日は台風の影響がまだ無く非常に晴れたフライトであったが、台風前で皆帰還を焦っていたのか満席である。偶然にもシューパーなシートが一丁開いているとの事で実フライトが1H以上のこの松山−羽田間、ここは一つ男になってやろうと潔く身銭を切ったわけである。偶然には偶然が重なるものでこの機体、国際線用であった。つまりシューパーなシートがチョ〜シューパーな状態になっており、全席までの空間といったら半端ではない。この国際線の2グレード機はエコノミーとファーストしかないから、ファーストの座席間隔なのである。
太平洋横断のビジネスクラスよりも広い!
この空間があるとボクに割り当てられた窓は3つある事になる。普段なら、「ヒコーキは慣れているから窓なんか見ないぜ〜」作戦を展開するのだが今回ばかりは天候も良くショーウィンド内のトランペットにへばりつく黒人少年のごとく、外の景色を堪能したわけであるが・・・
関空、伊丹、讃岐空港、広島西空港・・・と飛行場が肉眼で確認できるわけである(へーへーへーへーへーへーへーへーへー、9ヘエ)。
 よく考えると関空、伊丹そして神戸にも空港が出来る。上空から見ると少し先に名古屋空港、そして知多半島にも新たな中部空港建設が始まっている。関東一円が羽田と成田だけなのに随分と地方には空港が多い事に気づいた。しかもどれもが777や747などの大型航空機が離着陸できるサイズである。しかも新名古屋(中部)空港と神戸空港は埋め立てだから関空のように離着陸フィーが高いだろう。ちなみに成田や関空はワンタッチ90万円前後である。これはニューヨークの2.5倍、ロスの5倍である。つまり10人乗りの飛行機で羽田からブ〜ンと飛んできて関空について1h後に飛び立っていくとしよう。空港使用料が84万円+燃料代+1kLあたり4800円の給油施設使用料+人件費+駐機料・・・何かと金がかかるがパイロットまで含めて仲間内で飛んだとしても一人当たり20万円はかかる計算になる。まてまて、羽田に戻るとまた80万円かかるから・・・ぎょえ〜なのである。つまりそんなに高くしなければペイしない空港を造る「暇」が、いや「金」があったら
もっと整備しなければならないインフラがあるだろう(怒)!
と、ボクチャンは言いたいのであります。成田も羽田も中部も関空も1兆円以上の整備費がかかっているのです。
ちなみに政府専用機をご存知か?これは日本のエアホースワンである。ボクは千歳で仕事をしていたから知っているのだがこの政府専用機の車庫?機庫?なんでもいいや止める場所は北海道の千歳なのである。いやはや、なんともスケールがでかい!とかそういう話じゃなくて高くて東京には停められんのだそうな。
ホントに造るの?中部、神戸。ホント?マジ?マジで造るの?採算取れるの?考えてる?大型機対応の2500m滑走路を持つ空港が32個になるんだよ?大丈夫かな・・・この国。扇ちゃん・・・信じていいのね?

2003 9/7
ツーレポ特集!今回も前回同様「ヤフトピ」仲間とのツーリングである。しかし今回はある種、送別ツーリングといった様相である。何故なら、気合十分の官僚Rigsさんが北の大地へちょびっと旅行に行ってしまうからである。旅行といっても官費での旅行なので1泊2日では帰ってこれない1年366泊か2年732泊の長い旅である。きっあの熱い走りは北の深山幽谷でも顕在であろう。今回のメンバーはワタクシGM他、前出のRigs氏、700系新幹線バイク便仕様(今回は違ったが・・・)ZZRのTAKA氏、参勤交代で中国地方からやってこられた旗本EX4氏にその一翼を担う後輩殿、そして新百合の城主ミスターブラック氏である。相模湖へ向かう一行に出遅れたボクは必死の追撃を開始したが、ハッキリとしたルートを知らず、別れ道が出てくるたびに「どっちかなあ〜」人差し指を舐め舐め追跡していた。途中、霧が濃くなり雨足が強くなった。ボクの嗅覚は雨で無力に・・・「次の広いところでUターンして帰ろう・・・トホホ」と思った矢先、「バヒュ・バヒュ・バヒュ・・・」ワインレッドが先頭で最後尾が黒いZZRの集団と峠ですれ違った。
「奴らに違いない!」
目標を大脳基底核にインプットしすぐさまUターン!給油にてPITINしている艦隊を発見、撃破?いや、追いついたのである。あの先はやはり雨がひどくUターンしてきたそうだ。西湘バイパスまで南下した我々は一路ターンパイクへ向かってひた走った。ターンパイクを気持ち良く駆け上がるも途中からキリ。キリキリキリキリ・・・っていうか完全に雲の中である。ほとんどの走行車両はハザード点滅、減速状態である。頂上のパーキングまで到着したが、キリだらけで何がなんだかわからない状態であった。すぐそこで爆音が聞こえる・・・激しくビリッピィングしているが、古いグッチ軍団か?ドカじゃないしな・・・改造12R軍団にしては音が違うし、ハヤブサか?
その爆音はわずか15mほど先であろう。しかし、何だ?霧の中からランボルギーニ軍団が現れた。しかしディアブロなのかカウンタックかの違いもわからないほど霧が深く、ひょっとしたらぜ〜んぶムルシエラゴだったかもしれない。当然写真は無い。でも音はカッチョ良かった。
さて、霧が少々ましになってきたところで周りには百数十台のいや数百かもしれないバイクがいたことに気づく。MVアグスタが8台程、束になっておいてあるような猛烈金持ち軍団やビューエル軍団、ハヤブサ軍団、まぜこぜ軍団、高級外車峠仕様軍団・・・とまあ変な雑誌読むよりもずっと楽しい大観山パーキングである。ボクは本来カワサキ派であるからしてEX4氏のEX4は希少車なだけに嬉しかったりする。ハーフニンジャと呼ばれた900ニンジャのエンジンを真っ二つにして400を作り上げたカワサキ重工のアバウトさがたまらなかったりする。でも何故か日本では人気が無かったために今では滅多にお目にかかれないのが現状である。またRigs氏の油冷は男ならの一度は乗ってみたいエンジン。しかも現行車種で入手できるのはGS1200とこのGSF1200のみ。ブラックさんも実はガレージにピカピカのフルパワーGSFを持っている。が、乗っていないのである。オークションに出る日は近い!と勝手に思っている。
今回、なにより嬉しかったのはハルレイ仲間が出来たことである。同じスポスタであり嬉しさ倍増である。1200C・・・ん〜ボクのより排気量はでかいしなんだかピカピカしてカッチョイイゾ!しかもナンバーには「C」の文字。外交官のナンバーみたいでもうカッチョイイ〜ざんすなのである。その後自分のミカリンを見ると・・・1200Cが女優さんならミカリンはジャージ着ている高校生?程の差はあるが、叶姉妹よりも高橋尚子がイイと言う男性人も多かろう!よしとするか!

2003 9/1

 連日の残業でメロリンキュ〜である。で、昨日あった健康診断のことについて。
子供の頃、父親が「明日は人間ドックだから晩飯はいらんのだ!」といった時の衝撃を今でも覚えている。その衝撃は脱毛が激しかった父が最後の記念といって半ばヤケクソになって電髪(パーマ)をあててきた父を垣間見た時と同じくらいである。なぜ人間ドックに驚いたか。それは「人間ドック」という響きに、ボクは父がレタスに包まり大きなパンに挟まっている姿を想像したからである。「きっとご飯を食べてしまうと、お腹の中にウンコが出来るから人間ドックを食べる人への優しい心遣いから食事を取らないんだ!」と心の中で真剣に思った。
 そんなボクもすっかり大人になって人間ドック・・・といいたいところだが、いつもスケジュールの関係で半日のお気楽検診を受けている。難関は、当然バリウム・・・と思うだろうが実は違う。バリウムはくるくる回ってアホみたいだがボクにとってはちょっとした運動気分である。とどめにゲップを我慢しながらの強制運動は自虐的な心地よさもある。
 僕にとっての難関は、何を隠そう心電図。冷たい電極をわき腹にプチュプチュっと付けられるといつも馬鹿笑いしてしまう。
 心電図検査の係りは通常女性である、というか女性意外にはしらない。とくに若い女性が多いのだがボクのようなおじさんが行くと目も合わさず事務的に淡々と作業を行う。この雰囲気の中でわき腹にプチュプチュっとされるわけである。笑うと馬鹿にされそうな雰囲気の中に入っていく時点でボクは全身の感受性が亢進し、人に肩を触られるだけで首を曲げたくなるほどの高感度状態が出来上がる。
「ココにかかとをあてて横になってください・・・前を開けます・・・」このとき浴衣みたいな服の紐をスルッと引かれる時点で
「うっ・・・ぷっぷっ・・・」
冷静な口調で「少し冷たいです」といいながらプチュ・・・
「うぷっ・・・」
プチュ
「うぷ〜ぶぶぶ・・・」
冷たい視線で「最後ですから」プチュプチュっ・・・
「ぶぶっ・・・ぷぷぷっ・・・ぶっぶわっははははははははははははははははははは・・・・・」
彼女はバカかお前はという視線で「心電図が乱れますよ」と一言。
格闘の末、一通り検査が終わって冷淡に次の行き先を告げられた後、手のひらで頭をペンペンと叩き、スリッパを鳴らしながら出て行く自分に我ながら天晴れと思う今日この頃である。歳をとったものである。

2003 8/30 シカゴ日記 其の弐
甘党で有名なボクはかなりの甘党である?しかも酒を飲みながら甘いものをガンガンいける筋金入りの甘党である。練乳の一気飲みだって、クリープの直接経口摂取だって、場合によっては合成甘味料だって平気である。高校生の頃、喫茶店で砂糖ビンの中にスプーンを突っ込みながら「いくつ?」と聞く彼女に、カチカチで「17」と答える。彼女も緊張しながら17杯の砂糖を入れる・・・というお決まりの状況下でも緊張しながらめげずに砂糖で飽和した「珈琲砂糖湯」を飲むことだって出来るのだ。また、自分への甘さといったらこれはもう病気である。「まっいいか!」とついついズボラになってしまう有様は、甘党の鏡ともいえる。
しかしながら今回、ボクは参ってしまった。日本では有数の甘党を自負していたにもかかわらず、やはり米国の大陸的甘党には兜を脱ぐおもいである。ボクをそうさせたのは、スーパーでさりげなく売っている¢79の菓子パンらしき物体である。アメリカ人は二個入っているものがやたら好きで、こいつもツインである。連日連夜、ダンキンドーナツでもぜんぜんへっちゃらなこのボクが、降参したのはただの菓子パンである。
ちなみにダンキンドーナツだってボクはALL「グレイズ」。グレイズとは砂糖や蜂蜜でコーティングされた激甘ドーナツの種類。今は2個頼むとサービスでドーナツがもう一個付いてくるキャンペーンを展開中だった。当然、グレイズをもう一つ!
なのに・・・なのに、ただの菓子パン野郎であるこいつは、最初は中にクリームが入っているなんて想像できない普通の顔をしている。外側は日本でもそこら辺で手に入る普通の菓子パンである。しかし・・・結論から言うと中に入っているクリームは一度食べてみる価値があるほど甘いのだ!この甘さは筆舌に尽くしがたく、たとえ直木賞作家でも文面で伝えるのは至難の技であろう。村上春樹ならなんと表記するのか興味の尽きないところではあるが、この甘さは恐らく相当な技術力が無ければ達成し得ない甘さである。アスパルテームは合成甘味料の中でも甘味を感じさせる体積比が、僕の知りうる限り一番である。つまりコーヒーにちょびっとしか入れていないのにすんご〜く甘くなるという度合いをボクは「甘味体積比」と勝手に命名してしまったわけであるが、これが常識の域を逸脱しているのだ。このクリーム、小さじ一杯コーヒーに浮かべるとそれだけで十分な激甘ウィンナコーヒーになるはずである。クリームの中に含有させて甘くさせているということは、その原液は・・・想像するだけで身もだえするほど甘いに違いない。というかそんなに甘いものが地球に存在したのか・・・という思いである。言われる前に言っておくがハッキリ言って大げさである。しかし、そうさせるほど想像逸脱する甘さ、渡米する機会があったら下町のスーパーで是非、究極の甘味体験を。飲み物無しで完食できたらご一報くだされ。ボクを超える日本一甘味大将の称号をあなたに。




2003 8/30 シカゴ日記  其の壱
ユナイテッドエアにて順調に飛行していた。丁度、8時間を経過した頃だったろうか、うたた寝から目が覚めた。エアコンの冷気にやられて鼻水が出てきた。キャビンアテンダントに頼んでハナカミ用のティシュウをいただこうと思った。以前、映画の中でトムクルーズがティシュ〜のことを「クリネックス」といっていた事を思い出した。アクセントは「リ」にあった。
 アイワナ クリネックス!ドゥーユーハブ?
 するとなんだか「oh〜darararararara・・・インステッド・・・・・・・・・・」
ようはクリネックスは無いが代わりのものでも持ってきてくれそうである。
ややあって写真のこいつがやってきた。これはトイレの中のペーパータオルである。ガサッとてんこ盛りである。ボクの驚いた顔に「べ・ベツにいいじゃない!鼻かめんだから。」とでも言いたげな顔で去っていった。読書灯を付けたら、暗闇に見事に浮かんだ紙の山。思わず「とりあえず・・・パチリ」であった。

2003 8/24 追記
 子供の頃、ある女性から陶器のカッパを貰った。貯金箱になっていて体長20cmくらいだったと記憶しているが定かではない。以来、「カッパのおばちゃん」と呼んでいた。その女性は母親よりも年上で、でもおばあちゃんと呼ぶには若かった。私の祖母の妹と知ったのは、随分後のことである。小学生の頃だったか札幌市白石区にあるマンションを両親と訪れた。白亜のマンションの高層階、ロッキングチェア・・・まるでTVの中の世界。法的には4親等、「親族」という枠組みの中においてはあまり近くない存在ではあるがとても印象に残っている。早くから夫を亡くし優雅な一人暮らしをしているOLだったと知ったのは成人してからのことである。社会人になった頃、営業中にサボって「カッパのおばちゃん」のところへ行った。ずっと年賀状のやり取りをしているなかで意外に近くに住んでいることは知っていた。真っ白い髪をきれいな紫色に染め上げ、ゆったりとした口調でやさしく話す様は昔とまったく変わらなかった。たしか高級感漂うヨーロッパのチョコレートと紅茶をいただいた。
 会う機会はここ7〜8年なかったように思う。今朝方、連絡の取れない事を気に病んだ息子さんがマンションを訪れたところ部屋で亡くなっていたという。死後数日経過してるようであったらしい。当年86歳。最近まで病気もせず元気だった。
 年賀状のやり取りはしているが最近会っていない親類はいないだろうか
カッパのおばちゃんは、一人部屋で死んでいった。長かったそして華やかで辛かった人生の幕をおろす最後のシーンは、こんなものなのだろうか・・・。いや、こんなものなのかもしれない。美しい花は、人知れずちりゆくものなのかもしれない。
最近・・・会っていない人は、いませんか。
「カッパのおばちゃん、ご冥福をお祈りします」


2003 8/24
今日、帰国した。と言っても出張に行っていただけであるが、今回はシカゴである。シカゴはマフィアがたくさんいるのではと心配していたのだがどうやら禁酒法時代のことらしい。町並みは、「圧巻度合い」は東京よりもやや上で「近代度合い」は香港よりもやや下、まあクラシカルな雰囲気が残っていると言ったほうが的確かもしれない。たくさんの写真を撮ってきたので表紙やその他もろもろの写真素材にはしばらく苦労しないだろう。外国チックな写真があったらボクが撮ってきたシカゴの写真と思っていただいて間違いない。今回は随分とたくさんのネタがあるのだが、ここでは書ききれないのでエッセイとかこのコーナーに随時アップしたい。また、ボクが学生時代に研究した比較文化論は「日米の個人レヴェルでの誤解と理解」をテーマにしたもので今回も新しい発見がずいぶんあった。まずは時差ボケの修正に苦労するだろうから体調が整えば小出しに行きたいと考えているのである。そうすりゃあ、しばらくは話題に事欠かなくてすむわけだ。ムフフなのである。この写真についてご紹介しよう。ここはシカゴ市内のミシガン・ストリートである・・・といったところでろくなガイドブックもないシカゴの街中を紹介しても何の役にもたたないだろうが、まあ西麻布から六本木・・・みたいなイメージのところであろうか。CBSテレビのタワー、シカゴトリビューン誌の本社はあるものの比較的オフィスが少なく、デパートやストアが多い。またこの辺りのビルはせいぜい40F程度と軒並み低い。ちなみに40Fといったら新宿副都心では目立つかもしれないがここシカゴにおいては景色の一部に染まるのみである。なぜなら川向こうのオフィス街にいくと70F(ランドマーク)級のビルがごろごろしているからである。川向こうは小さい写真であるが、これは近いうちに「写真館」にUPしておくので、ブロードバンダーの皆さんは是非。メチャメチャきれいでやんす。・・・で、久しぶりにカメラを首から下げて仕事場とホテルの往復にちょっぴり観光気分を味わったわけだがこれほど絵になる街も珍しいというくらいにきれいな街並みであった。実は、一日余裕を持って移動したのだがジェットラグに苛まれ、みごとにボクの観光プランは崩落したのであった。ブ〜である。

2003 8/11

マーシャルロー・・・「ッ見た見た!」と言う人もいれば、「何?」とおもう人もいるだろう。別段新しくもない2000年に公開された映画である。たまたま見たことがなかったので借りてきたのだが、NYのメディアがこぞって必見を賞賛したこの映画を今まで見ていなかった事は認識していたが、なんとなく忘れていたのであった。レンタルビデオショップで偶然にも目に飛び込んできたので迷わず借りた次第である。見たこと無い方の為に何も言わないが・・・カサンドラクロス→数年後にエイズ、アウトブレイク→直後にエボラ出血熱、カプリコンワン・・・などなどこれらはまったくの偶然だろうか?かねてからアメリカ映画は現在懸念されている材料をリアルタイムに描いているような気がしてならない。何かをつかんだマスコミが報道手段を遮られた時に、映画と言う形で反逆してるに違いないと勝手に思っている。マーシャルロー・・・2001年9月11日の悲劇が訪れる丁度一年前に公開された作品である。それを思いながら見ると、やはりアメリカは愚かな国なのだと痛感させられる。なんだか心が痛い映画であった。見たことがないという方に、あのNYの悲劇を踏まえたうえで、そしてこの映画はあの事件の一年前に公開されていたのだと認識しながら見ていただきたい。今となっては鳥肌が立つ映画である。

2003 8/3 ツーレポスペシャル〜
本日、掟破りのツーレポスペシャルを御贈り致したい。写真だけ見ると夕方に見えそうな傾いた日。そんな早朝に始まった「美味蕎麦(うまそば)ツーリング」は、ブレーメンの音楽隊のようにメンバーを増やしながら目的地南部町(そりゃいったい何処だ?)に順調に駒を進めるのであった。ボクにとっては見たことも聞いたことも無い南部町であるが、当たり前である。太字の「南部町」をクリックしていただくと説明するまでもなく「画面中央・やや右上」で僻地と肉眼で確認できる。
 つごう400kmの南部町ツアーだが、ルートはことのほかゴージャスである。忍野八海、山中湖、本栖湖、富士山3合目をただただ通過し名も無き南部町でソバを喰ったわけである。まさに痛快の極み!であった。もしメンバーに遠く地方から参加された方がいたのなら後ろ髪惹かれることこの上ないツアーだったに違いない。
 そんな素敵で大胆な今回のメンバーは、首謀者Rigs氏とTORO氏にTAKA氏にAkira氏。そしてボクを含めた5台である。ご本人から承諾を得ているので簡単にご紹介しよう。
 首謀者のRigs氏はとても○○○○とは思えない程アクティブで、「走り」も「風貌」も「舘ヒロシ系」である。昔はきっと不良だったに違いないと思われるが現職は国政にかかわるのでここでは控えておこうと思う。昔やんちゃだった痕跡が滲み出る愛車はGSF1200S。一見おとなしそうだが中身は油冷時代の1100Rである。チタンのフルエキが焼けている官僚なんて・・・いけね、言っちゃった。
 次の方は、国政にこそかかわらないが都民の暮らしを支えている張本人である。その気になれば都内をパニックにさせることも可能であろうとボクはニラんでいる。本人に言わせれば「そんなはずは無いよ〜」とやさしく否定するだろうがボクは信用していない。だいたい「TORO」などとバイク乗りを安心させるようなHN(ハンドルネーム)を持つ人が、ゲンコツが入るほどのスラッシュカットマフラーを地面に擦りつけながらローライダー系バイクを駆るだろうか?やさしい顔をしているが愛車がシャドウ750スラッシャーである。バイクの選び方がさながら不良高校生である。このギャップ・・・是非本人に逢っていただきたいと思う。
 次の方に入ろう。なんと!同郷発見!なのである。学年も同じである。バイクの乗り方もお互いに認める「スキー乗り」で趣味など共通点も多いのだが・・・CB11300をまたいで両膝がしっかり曲がる程の長足を持っていることが大きく違う。チェッ・・・である。背も高くこれでブ男なら、それほど腹もたたないがないが・・・まったくもって腹立たしい男である。立派な体躯を生かしCB1300の巨体を豪快にフロントリフトさせながら加速は・・・も〜カッチョイ〜バーカ、ドロボウ〜、くそったれ〜・・・あ〜あ、うらやましい。

 そして最後になったが、500系バイク便とでも言おうか、ZZ-R1100withスーパーコンバットにでかいツーリングケースの彼である。ここまではツアラーZZRにあっておかしくない装備であるが、見て欲しいのはこれスーパーコルサ(タイヤ)である。本人いわく「ボクハ、シリマセン」を貫くがそんなこた〜どうでもよい。こんなに端までドロドロのコルサは滅多に見られない。しかもツアラー然としたツアラーで、である。彼は言う「まだ試行錯誤の段階で・・・」。
しかし本質的には『ZZ−Rなんざぁ東名のって6速入れて全開よベイべ〜』であるからして「のぞみ号新大阪行き500系バイク便」でも画策しているのかとマジで思った。あれに書類入れて300km/hで大阪へぶっとべば、日本一速いバイク便になろう。なにせあんなにデッカイ箱つけた12Rやハヤブサを見たことが無いからである。

そんなこんなでありついた蕎麦は、最高に美味かった。「空腹こそ最高の調味料」というが、この言葉の意味は「腹がへってりゃ何でも美味く感じるぜ」という意味かと思っていたのだがどうやらそうでもない。最高の美味を求めるために苦労を惜しまぬ者、その者達のみが本当の美味を味わうことが出来るのだ!と言う・・・う〜んボクの語彙では伝えきれないが、そんな気にさせる哲学的美味蕎麦ツーリングであった。Fin

2003 8/1
とうとう8月になっちゃったわけである。暦の上でいきなり到来した夏に、ちゃ〜んと神様もタイミングを合わせてくれたのはいいが、気温の上昇には傾斜をつけてくれたほうが体に優しい。しかもよりによってボクは名古屋の出張が重なっていたために、極暑の地にて突然到来した夏を味わったわけである。厳密に言うと7月31日の夜のことである。
目的は8月1日の仕事であるが、この晩のボクはもう一つの目的である「利害の生じない新しい友達」を作るべく名古屋へ向かったのであった。久しぶりに不安と興奮に包まれたが、名古屋で待っていてくれた人たちは、気さくで気持ちのいい人間であった。初対面ではないが、限りなく初対面に近いその夜会は大変充実していた。一方、明けて8月1日は
窮地の知人が・・・いや失礼、旧知の知人が集う同期会である。中には10年ぶりに逢う仲間もいるエキサイティングな同期会で、とどめに同期同士の結婚祝いも兼ねるというハチャメチャな会である。結婚した当人への祝いもそこそこに話が盛り上がったわけであるが、やはり気の会う仲間もいいものだ。特に社会人なりたてな若僧たちの一宿一飯をともにしたつらい研修期間に培われた絆は朽ちることなく強固なものだと確信したわけである(アホか?と言う声が聞こえてきそうだが・・・)。
なにはともあれ、いい夏のはじまりである。

昨日買ったサマージャンボ宝くじが、もしも当たったら・・・
『同期全員に10万円のテレホンカードでも送りつけてやる!わっはははははは!ザマーミロ』
        ・・・そんな無駄な空想を思いつかせるのは、やはり「同期」のなせる業なのか。

2003 7/26
ついに来たか?梅雨明けの青空である!
永らく続いたジメジメの天候だったが午後から見え始めた雲の切れ間の青空がもう最高である。夕方になってそうだ、まだ19時は明るいのだ!ということに1ヶ月ぶりで気づいたというわけである。「やっぱり夏はいいヤネ〜」と一人ほくそえむが、猛暑に襲われるや否や手のひらを返したように夏バテでゲンナリなのである。
こんな日はウナギでも食べるとよいのだろうが現在ダイエット中である。私は職業柄完全なるダイエットを目指している。しかも一般には最も痩せにくいタイプの肥満超過であるが、2週間で完全に体脂肪が下がった。予定通り、体重の減少はわずか3〜4Kg程度であるが、体調は万全である。ボクは現在身をもって構築した理論と実社会の現状を踏まえた上で「ダイエット合宿」を真剣に企画しようとしている。もちろん商売になれば最高だが、この企画エネルギーの源は「みんなで楽しくダイエットをしよう!ついでに合コンもね」のノリである。酒を水に、から揚げをサラダにして毎晩合コンを実施することで余計なカロリーを摂取せずに体力は使うわけである。個人差は激しいが、毎夜爆発的な有酸素運動にありつける輩などもでてきそうで、んも〜鼻息荒くなっちゃう〜効果絶大である!(オレはバカか)
10日間で15万円。海・温泉つき。こんなのいかが?

2003 7/21
前回の更新からいったい何日経過したのだろうか?我ながら情けなくほど更新ペースの落ちた訳であるが「T3」はご覧になったろうか?マトリックスの凄さを経験した後に若干割りの悪さを感じながらも劇場へ。流石に3作目であるからワクワク感も一入(ヒトシオ)というわけにはいかなかったが結論から申し上げよう・・・サイコウであった。以上。
 ところで数日前に電子辞書がダメになった。ダメになったというよりは物足りなくなっていた。昔、何かのくじで当たったのか何だったのか?記憶は定かではないが、ようするに貰いモノである。辞書好きの僕としてはこれを愛用していたわけであるが、とにかく中学生級の辞書(和英:25000語程度)であったために新しく購入することにした。たまたま近くにあったヤ・マ〜ダ電機でお買い物である。辞書を物色しているうちに「広告の品」とやらを見つけた。これはメーカー赤伝(値引き)の特価品であるから量販店の「広告の品」はありがたみは無いが絶対的に安いことはよく知っている。とりあえず今よりはマシという事で購入することにした。いじくりまわしてみると機能的には驚愕に値する一品で定価\45000は伊達ではない。広告特価の\19800で販売していたものは台数に限りがある。たまたままだ少し残っているとの事で迷わず所望した。驚愕の事実はまだ続く、レジでカード払いを伝えると、いつもの決まり文句
「ポイントカードございますか?である。ボクは性格が不精というだけでなく、ポイントカードというしみったれたシステムも好きになれないのでポイントカードと名のつくものは一切もたない主義である。「へっへっへっ旦那〜キャシュバックするからまたウチで買ってくんなまし」というシステムはプロの買物師として(いつからだ?)冷静な判断力を欠く要素である。このようなものは排除するという努力を日常怠らないエラーイ、ボクちゃんはものすごく損をしているのである。今回もヤマダ電機の店員に「ポイントカードは不要です」ときっぱり言ってのけた。ポイントカードを拒む人はめったにいないのであろう。すっかり困惑しきっていて・・・「出力しちゃいましたのでどうぞ」と言われた。まったく困ったものである。日本人なら誰でもお茶を喜ぶと思っているのに似ていて「わしゃ珈琲党じゃ」って事もあるのだ。「そいつは君にあげるよ(^^)」くらいの態度で受け取りを拒もうとしたその瞬間・・・
ピンポーン・ピンポーンけたたましくレジが鳴り響いた!「あの・・・100人に一人のあたりが出まして・・・10000ポイントが・・・」
「あなたもしつこいね〜だからオレは要らないって〜」
「全部で14000ポイントですけど・・・」
「それが何なの?いったいどんな利点があるのかな?」
「14000円の金券と考えてください」
普段から10%近くも還元しているなんて・・・驚愕であった。しかし「10%還元」と言うフレーズ確かに店内で聞いたことがある。しかも今回は10000ポイントプレゼントである。つまりヤマダ電機内で使える14000円の金券が・・・(しつこい)
ボクはいままでいったいいくらソンをし続けていたのだろう。コンピュータもTVもいつもポイントカード要りませんと言ってきた。店員さんがもったいないから貰っとけ〜と粘るわけだ!粘られるから怪しいと思っていつも断ってきた。今回は45000円の辞書を5000円で買った計算である。ポイントカード、なんてスバラしいシステムだろう。手のひらを返したようにファンになってしまった。ありがとうヤマダ電機。この軽薄さ・・・我ながら天晴れである。

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