携帯電話の今昔
ーあんましかわってね〜じゃんー
以前もこのコーナーのコンテンツで携帯電話に触れたが、実は新し物好き、機械好きのボクは携帯電話に関してのみとても早熟であったのだ。レンタルが解除された1994年には莫大な出費をし、したり顔で持ち歩いていたのは今思うと、とても恥ずかしい思い出である。
先日、引き出しの中から面白いものが出てきた。古い携帯電話である。これは1996年製造の日本電機(NEC)のものである。まじまじと見ると、当時はとても大切に恐らくダサダサのオプションカバーなんぞにいれて使用していたらしく、傷ひとつ無いとても綺麗なものである。車で言うところのミント・コンディションといっていい。
市販されている充電器をつなげてみるとサスガに10年近く経過しているだけあって簡単には目覚めてくれない。鷹揚と構えて10分ほど経ってから電源を入れてみる事にした。
N202型 デリバリーは96年の秋のようである。この頃はもっぱらムーバと呼ばれていた時代でありレンタルではなく機器を「買い取り」にした2世代目くらいだと記憶している。
僕自身にとってもこれは恐らく2号機でデジタル・ムーバの初期型だと記憶している。
ただこの頃の携帯電話の質感は、今とは比べ物にならない位に高い。お値段もメチャメチャ高価だったからかそれに見合ったクオリティーである。漆黒のボディーは抑えられた光沢を放ち、ダイアルを含めた各スイッチもゴムでシールされ、爪の先でしっかり押さなければならない。
今の携帯ときたらポケットから出そうと、うかつに掴むやピロ、ピロ、ピ・・・ロ・・・と色々なスイッチが作動しポケットから出てきたときは訳のわからない画面だったりするが、当時の携帯電話はちょっと前のベンツみたいなぁ、なんちゅうか、こう重厚な雰囲気がある。
並べて比べると、さぞかしデカイのだろうかと思いきや・・・ 実はサイズはそれほど変わっちゃいない。少し前までは便所に流してしまいそうになるほど小さい電話も登場したが結局、メジャーに成りきれていない。やはり使うには適当な大きさというものがあるのだ。
サイズが違うのは画面くらいだろうか。ボクはメールもあまり必要としないし、ましてや携帯電話で写真を撮ることも無いので、この頃の携帯電話は凄く惹かれるのである。
やっぱボクはピンクとかサックスブルーの携帯電話は
なんだか玩具っぽいと感じてしまうからだ。
現に売られているのでそれを購入して使っているか方々に文句は言わないが、男にとって携帯電話はひとつのアイテムなのだから、メーカーもコダワリをもってデザインしてほしいものである。少なくとも初期のムーバにはそういった雰囲気があったと思う。
いつも書いているが日本製は電化製品ひとつとっても悲しいデザインが多いと思う。ボクは『チビまるこ』風と呼んでいるが、アイロンやドライヤー、洗濯機、掃除機がどうして水色やピンクの質感の無いプラスチックなのかが疑問である。
オーシャンズ・イレブンでブラッド・ピットがモトローラの携帯電話でアルパチーノと話しているシーンはとてもカッチョ良かったが、あれがジャラジャラとストラップの付いたピンクの電話でプリクラでも貼ってようものなら、それはそれはガッカリである。
ブッタギリのコーナーとは文句を言うコーナーではないのだが・・・
右にあるような「ピンクの電話」は漫才だけにしてもらいたいものである。
さて、充電も出来たかな?やおら電源を入れてみた。驚いた事に正常に機能した。さらにはもうバッテリーに充電力が無いのであろう「デンチコウカン」というロービットの文字がピロン、ピロンというアラームと共にちゃんと浮かび上がったのである。
「いにしえの 携帯電源いれちょびれ げにピロピロのはっぱふみふみ」
おもわず大橋巨泉の心境になってしまった今日この頃である。
文:喜多川グラマロ
2005 12月

これが懐かしのマイ・ムーバである
今の機種よりも造りに高級感がある事は確かである。
これが自分で購入した
ファースト・ムーバ
これは相当デカかった。
重量もかなりのもので、バッテリーの寿命は・・・
8時間くらいだったと記憶している。 94年の
当時の価格は・・・
確か、160000円。
本体は60000円で100000円は保証料だったか契約料だったか・・・
項目はなんであれ
要するに10万円余計に取られる事になんら
変わりは無い。
ボクの記憶が正しければ初めて100gをきった
軽量ボディーのムーバ
ボクの3号機だったと記憶している。
歴代の携帯電話の中でボクが最も好きなのが
コレ!
当時珍しくアンテナが
フニャフニャのジョイントレス(1本モノ)。
この頃を最後に97年からは色物が登場し、
高次機能だが・・・
低コスト、低品質化が
進んでゆくのだ!