声出していこう!

Text : Gran Marron

 作業場、デスク、ガレージ…やはり1つの作業を効率良く、またクオリティーの高いモノにしようと思ったらその「場」は大切である。前述したが我が自宅のトイレットは高尚なウンチョス産生の場にはうってつけである。作家が万年筆にこだわるようにワタクシも道具にはこだわりをもっているつもりだ。マイ・トイレットはボタン1つでフタも便座もシュッと開閉し、脱臭機能・温水タイマーを有するなど、いうなれば便器界のセルシオといったところである。
 マイホームについて雑談を交わす大借金仲間との交流は多いが、さすがに便器を自慢する人間は私以外には知らない。…というか我家の場合便器以外に自慢できるものが無い。さて、本来このシリーズの冒頭にお伝えすべき事、つまりワタクシが何故ここまでウンチョスにこだわるのか、その理由は学生時代の強烈なイベントがトラウマチックに働いてる事は事実である。
…1983年10月 東海道新幹線上
 名古屋の国際会議場がOPENしオーロラビジョン付きの大会場ではこの年、比較分化論の学会が開催される事になった。私の所属する研究室では、教授の意向が強かった事もあるものの、この名古屋の学会に我々の研究論文を発表しようというムードで盛り上がっていた。当時ではまだ珍しいPCを駆使し(確かマイコンと呼んでいた)ホストファミリーが外国人を向かい入れる中で最初に抱く疑問や未だなじめないアメリカ文化についてデータ集積をして仮説、検証したという今にして思うと大変陳腐な研究である。
 3日の滞在で名古屋の学会も終わり、都内にある祖父母の家に向かう為、私は友人と別れ一人名古屋から新幹線に乗車した。コーラをガバ飲みしていた事もあったのだろう、ややあってチョッくらトイレへと立ちあがった。ウンチョスではない。ちょっくら…である。新幹線の揺れにバランスを崩されながらようやくトイレへ。
 当時の新幹線は今と違って連結器部分の内装処理が雑だったと記憶している。慎重に連結部分を越えようとした時ガタッと振動があり丁度目の前のトイレの扉が半開きになった。何気に手をかけ少々重い扉に反動をつけ一気に開け放つと、皆さんの想像とはチョット違うデミ・ムーアばりのメチャいい女がいた。
 当時のボクにとっては「カチョイーおねいさま」といった方が正しい。
 ショートカットで顔の小さな彼女は明るいグレーのスーツ姿で白いシャツの襟がYAZAWAのように外に出ていた。しかもタイトスカートをしっかりまくり上げ、ストッキングも白いおパンツも膝下にクルマッている。ボクに背を向け和式便器に今まさにしゃがみ込む直前であり人として最も無防備な状態である。鼻血が出る前にそのクレバーな顔立ちときりりとした眉。少々眉間にしわをよせてこちらを睨みつける綺麗な顔は僕の心にザックリと刺さりこんだ!
 推定年齢26歳、推定身長162cm、推定TOEICスコアは850点、外資系のOL。推定年収は450万円で推定住所は葛西〜南行徳の1LDKもしくは桜新町の1ルーム…すごい勢いで空想が湧き出した。その間1~2秒だろうか…
「いつまで見てんの!ウンコすんだから邪魔しないで!」
 彼女はそう言った。
 …確かに「ウンコすんだから」と言った。
 大学生のボクには、綺麗な大人の女がこんなにカチョイーセリフを吐くとは想像もしていなかった。驚愕と辛辣を通り越したボクは一気に「恋」の領域に入りこんでしまった。
「は、はやく…閉めてよ」中腰のまま彼女はボ冷静に言った。
「あっ…はいっ」我に返ったボクは恥ずかしさのあまり自分の席へ小走りで戻った事を昨日の様に覚えている。
 しかし冷静に考えると「餓鬼はさっさと帰りな」と言われているようで、繊細な僕は、どういうわけか悲しくなってきたのだった。どうでも良い相手ならただのラッキーだったのかもしれない。しかし何か相手に対して感情が湧いた以上ラッキーとかアンラッキーとかいう次元ではなかった。落ち着きを取り戻す為にとりあえず座席にすわり、窓を眺め…思い立った様にカバンに入っていたミカンを1つ食べた。
 様々な葛藤の後、「…でも彼女はウンコとはっきり言ったんだ。恥ずかしがっちゃいけないんだウンコは恥ずかしい事じゃないんだ。」と頭の中で叫んでいた。
 オネイサンにかまってもらえる様に、すなわち大人のオトコになるために「ウンコ」ぐらいのコトバに抵抗を持っちゃいかんのだ!
 車窓の景色は「お茶」やら「鰻」の看板が猛烈な勢いで後方へカッ飛んでいる。
 大人にならなきゃ…大人に…ようしっ。ボクは勇気を振り絞って大人になる決意表明のつもりで、でも少し小さな声で窓にむかって「う・うんこ」といってみた。
 不思議な興奮が体を包んだ。
 よし、デキルぞ! デキルじゃないか! ようし「ウンコッ!」
 こんどはさっきより少しはっきり言えた。
 同時に隣のおばさんが怪訝そうに僕を睨んだのもはっきりわかった。

21 Feb. 2003)