どうしても乗らなければならなかった。国際線に乗るのは初めての経験で全く想像がつかないが、手元には送られてきたサンパウロ行きのチケットがある。しかもたくさんの文字が入力されたそれは何枚にも綴られており、いったいどれが飛行機のチケットなのかも判断がつかない。友人達は言う。「出国には時間がかかるよ」「イミグレのEDカードはもう廃止だったかな」「入国は気を付けないと・・・」「空港使用税を払っておかないと・・・」周りの人間はシタリ顔で言う。親切なのか、いやそれは親切に乗じて自慢大会をしているに違いない。今、この状況で僕だけが教えられる立場であり、圧倒的に弱者であるボクを親切な顔をしながら公然と踏みにじっているにちがいない。ボクはただただ混乱していた。明日の21時に出発を予定しているその便で約26時間後には懐かしい恋人に逢う。とはいっても少々複雑な背景であるが・・・。
 
彼女は両親の仕事の関係で現在、南米の国で暮らしている。経済的に成功した彼女の家族が、身よりのない僕を受け入れてくれるというのだ。高校生の時に付き合っていただけの彼女とは、もう5年近くも逢っていない。ここ5年間は写真でしか知らない彼女の顔、文字でしか知らない彼女の声、もしボクが強くたくましい男ならこんな選択は絶対にしなかったろうが後悔はしていない。
 
ボクは「あの人」に育てられたが、2ヶ月前に亡くなった。いや、亡くなったはずである。ボクはあの人が49歳の時の子供。ボクはいったい何故うまれたのだろう。そして母はどんな人だったのだろうか。今となっては知りたくもないが、あの人に内緒で生んでくれた母には感謝している。内緒というのは憶測であるが想像に難くない。生まれた後で僕の事が発覚し、しかも母が何らかの理由で死んでしまったのだろう。でなければボクは今ここに存在するわけがない。
 
あの人の記憶はほとんどない。ものごころついた時から得体の知れないおばさんにいつも夕食を作ってもらっていた。うんと小さい頃は優しいおばさんだったが、その人の事を「テイサン」と呼んでいたことくらいしか憶えていない。小学生のころから愛想のないおばさんになった。「テイサン」になついていたボクは新しく来たおばさんになじめなかった。そのおばさんはいつも暗く薄汚れたキッチンで汗だくになりながら焼き魚の身を崩し、オニギリにして紙袋に入れる。半分をボクに用意すると紙袋をもってそそくさと帰って行く光景しか憶えていない。食卓にはおばさんが魚の身をくずしたその箸が添えられていた。毎晩気持ちの悪い夕食だった。
 
「あの人」は週に一度、ボクを食事に連れて行く。そしてほぼ毎回違う派手な女性が一人、二人同席している。「あら、かわいいわね!なにか欲しいものはあるの?」胸の大きく開いたドレスから覗く胸の谷間にはいつもヌルヌルとした汗が光っていて、いつも化粧の甘い匂いがした。ボクの髪がぐしゃぐしゃになるほど撫でつけられてテーブルにつく。その横で、「俺に似て可愛いだろ!こいつ無欲でさ、ちょっと暗いのよね〜」と決り文句を言うあの人は、静かにさえしておけば怒ることはない。ボクはスパゲティーナポリタンが食べたいのに、喫茶店じゃないからおいていないと店の人は言う。そして食事が終るといつもボクは一人で帰らされた。いま思うとあの人は二枚目で浪費家、とても見映えを気にする性格だった。外ではきれいな背広を着ているかもしれないが、家の中はいつもゴミの山で最悪だった。周りの友達には父の事をおじいちゃんと偽っていたことがバレて一度ひどく殴られたことがある。
 そんな「父親」が亡くなったという事を知ったのは、警察からの電話である。厳密に言うと死亡は確認されていないが、泥酔して川に転落し半日発見されていないとの事で絶望視されていた。あれから三ヶ月、薄汚くこびりついていたものが消えた・・・。

 
 彼女が住むのはサンパウロから3000
kmほど北にあるイタブナという町である。大企業の役員だった彼女の父親はバブルがはじけた頃に失業したが、遠縁の残した後継ぎのない南米の農園をそのまま受け継ぎ新しい人生のスタートを切ったわけだ。
 出発の前夜は、眠る事が出来なかった。何故だかわからないがあたりまえの日本、あたりまえの東京、あたりまえの卒業、あたり前の就職活動・・・全てに終止符を打つ。彼女も回りに日本人がいたならきっとボクなんかに手紙は書き続けなかったろう。きっと現地の人間がどうしても人生の伴侶として抵抗がありボクを呼んだに違いない。身よりのないボクがここで就職をして、ここで生活しても明るい未来はないと思っている。
 ボクは性格が暗いと言われつづけた屈辱感をこのチャンスに生かしたい。高校に入って地味だったボクに手を差し伸べてくれたのも彼女だった。なにからなにまで受身的で彼女に対して男らしいところなんか見せた事がない。それを情けないと思えない自分が嫌でもあったが、結局またこうして甘えようとしている。決心したのは孤独感、絶望感に一筋のゴールが見えたからである。全てを捨てて生まれ変わるには最高の状況である。転がり込んだあたらしいスタートラインにボクは両手をついたんだ。絶対に後戻りはしない。そして今度は彼女を支えてやるんだと。

 出発当日6:00AM家主には退去の連絡は済んでいる。元々荷物はないからこのまま出て行こう。あらゆるものを詰め込んだ大きなバッグが二つ。バッグといっても袋に近い。大学には何の連絡もしていないがもう関係ない。卒業式まで後わずかだが、学歴とは無関係な世界に行くのだからどうでもいいだろう。カギをかけずに家を出た。カギは下駄箱の上においてある。
 7:30AM東京駅についた。出発までは半日以上あるが何故か成田空港へ急いでいた。
 11:50AMお腹の具合が悪くなった。JRではなく地下鉄をそのまま乗り継いでいるのでtoiletが無い。仕方なく一度下車してホームでtoiletを探す事にする。気持ちは焦るが便は21時。まだまだ余裕である。12:40PMの成田行き電車に再度乗る。
 2:00PM空港入り口でパスポートが無い事に気づく。なかなか出てこない。チケットはあるのだがパスポートが無い。一ヶ月前に申請したばかりの真新しいパスポート・・・絶対に無くさないようにとTVの下の隙間に入れて保管していた事を思い出す。・・・汗が噴出す。時間的にはまだ余裕がある。300円を入れてロッカーに荷物を詰めるとすぐさま電車に乗り込む。東京駅から約一時間とすると・・・家に着くのは5時。そこから4時間あるわけであるから時間は大丈夫なはずだ。いったん引き返そう。吐き気がするほど気持ちが焦る。
 4:45PMようやくアパートまで戻ってきた。音をたてながら金属の階段を駆け上がる。カギのかかっていないドアを開けようとしたが「ガチッ・・・」カギがかかっているではないか。焦りが最高潮に達するとともに「どうして・・・!?」パニックになったボクに冷静な判断は出来ない。すぐ隣の大家さんへ走る。「すいません・・・カギ・・・カギが・・・」大家さんは、老夫婦である。困った顔をしながら「実は、あなたに返す敷金なんだけどね・・・」とゆったり話し始めた。ボクは焦った。敷金なんかどうだっていい。「・・・カギを貸してくれ、忘れ物があるんです。お金はどうでもいいですから!」親切な老夫婦に対してこんなに乱暴な対応はした事はかつて一度も無かった。挨拶もそこそこにパスポートをにぎりしめて走りはじめようとした時「・・・さっき警察から連絡があったよ。お父さんが見つかったって・・・」大家さんは良かったねとでも言いたげににこやかに言った。
 5:55PMパスポートを右手に握り締めたまま飛び出した。何も考えぬまま、今度は成田エクスプレスに飛び乗った。あの人が見つかったって・・・きっと半分骨が出ていて本当にあの人かなんてわかりゃしないさ。三ヶ月も水に浸かったままだったんだ。無縁仏として誰かになんとかしてもらえるさ。・・・誰かに。右手にパスポートを握りしめたまま成田エクスプレスで空港へ向かう。全身は汗だくだった。髪もまとわりつき、濡れたTシャツの袖がボクの動きを妨げる。最低の虫になった気分である。あの人は・・・誰かに火葬してもらうんだ。きっと公務員が何とかするに違いない。税金はこんな時に使われるんだろう。ボクは根拠なくそう思った。南米にいったらきっと明るい性格になる。楽しい毎日を送る事ができるに違いない・・・雑踏の中、いわれたとおりに歩き、いわれたとおりに手続きをして・・・言われるがままに座席についた。気がついたら2度目の機内食がでてきた。今度は少し腹が減っていたのでチキンが来るのが待ち遠しかった。アルミを折り曲げたような薄い皿にソースのかかったチキンが入っている。期待と違ってすこし変わった味だと思った。
 
「機内食は不味いんだぞ!」かつてあの人から聞いたことを思い出した。

 「ほんとに不味いんだね・・・とうさん」涙と鼻水が止まらなかった。帰りたいと思った。でも帰る所が無い事に気づいた。生まれ変わるには遅すぎたのかもしれない。長すぎたあの人との時間は、いったいボクに何を残したのだろう。とうさん、とうさん、とうさん・・・たくさん心の中で呼びつづけた。



あの人へ
                                           文  喜多川 グラマロ