
『ラッフルズホテル』
あのサマセット・モームがこよなく愛し、彼の表現力をもって『東洋の貴婦人』と言わしめたラッフルズホテル。
もともと1826年に建てられた女子寮だったものを、1887年アルメニアの商人サーキース兄弟がホテルとしてオープンさせ・・・
などという説明は今更必要あるまい。なんたって・・・ラッフルズなのである。
つまり、「このホテル、どうして凄いの?」と聞かれたときは、「だってラッフルズだもん」、
「へ〜、ラッフルズだったんだ!どうりで凄いわけだ!」という意味不明な会話が成立する数少ないホテルである。
その固有名詞の威圧感たるやロスの「ビルトモア」に近い。
数々の逸話を残す歴史あるホテルで、かつてはビリヤード台の下に野生の虎が迷い込んで大騒ぎとなった話やシンガポールスリングが生まれた「ロングバー」などがあることは説明するまでもないだろう。
ところでこのラッフルズ、なんと1942年から3年間だけ『昭南旅館』という、今考えると極めてカチョワリ〜名前の旅館であった事を知る人は少ない。第二次世界大戦中の日本軍に接収された時の話である。
面白いのは・・・当時、ホテルの従業員は食器や装飾品の銀製品が日本軍に押収されるのを避ける為、中庭に銀食器類を埋め隠した。終戦後、無事に掘り返したという。
笑えないのは・・・それまでの宿泊名簿をはじめとする貴重な記録やキップリングやモームのサインなどは日本軍が全て処分してしまったこと。ここを訪れる日本人はその事を頭に叩き込んでいてほしい。東洋の・・・いや世界の宝石ラッフルズの歴史に大きな傷をつけたのは何を隠そう我々日本人だって事を。
北朝鮮が大英帝国博物館やニューヨーク美術館にテポドンを打ち込んだらどうなるだろう?
「無知で下劣な民族め!」と世界中の批難をあびるだろうが、残念ながらそれに近い。
シンガポールをイギリスの植民地にするきっかけ、象徴といってもいいかもしれないラッフルズ。もともとは海岸に面して建てられたが、現在は埋め立てによって海は遠くへ行ってしまった。海から見た白亜の宮殿は相当美しかったに違いない。現在は市街地の中心にひっそりと建ち、通りの反対側にはスイソテルの近代的巨大タワーの存在がラッフルズをより目立たなくしている。別に文句は無いが入れ知恵先行で実物を見ると・・・
「なんだか小さくて古いビジネスホテルだなぁ〜」という感もなくはない。
ヨーロッパの上流階級の社交場として栄えたことは建物に入るや簡単に120年前を体感する事が出来る。ゴム農園主、スズの投資家、銀行家、貿易商などが滞在した空間がそのまま残っているからで、年期のいったマホガニーのフロントデスクや高い天井に機械仕掛けの団扇。チャップリンもチェックインの時にはここでタバコを拾っていたのか?
このホテル、全室スウィートであるし宿泊者以外はエレベータにも乗れない。格式からいうと間違いなく世界最高峰の1つに数えられるだろうこのホテル、一度は滞在してみたいホテルである。ムフフなあの人と・・・
(^^;だから!こんな高級ホテル宿泊した事ないって(爆)。
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