振り返れない人
喜多川 グラマロ
夏休みの終わろうとしている高校の校舎内はしんとしている。木村は4日後に開催される評議員会の資料を準備するため誰もいないはずの生徒会室へ向かっている。時間は午前10:30。高山との約束まで30分ほど余裕があるのに廊下を少しだけ小走りに生徒会室へ向かっている。グラウンドではサッカー部とテニス部が練習をしていて、夏休みだというのに少しだけ賑やかな校舎である。
木村は鍵を開けようとするが鍵は既に開いていた。中では高山が一人机に向かって原稿を作っている。
がらがら・・・
「おす」
「あら、めずらしく早いじゃないの」
「まあな」
木村が扉を閉めた瞬間、静かになった生徒会室の中で小さな音量の音楽が流れている。流行っているオフコースだった。
二人は夏休みに入る前、この生徒会室で資料作成をしようと約束をしていた。
1ヶ月も前の約束であり、以降お互いに確認もせずに今日へ至っている。お互いが本当に来るのか不安であったに違いない状況の下、二人のやり取りはとても不自然なものだ。「良く憶えていたわね」とか「本当に来たのね」なんていう台詞が高山の口から発せられると木村は思っていたが、意外にも高山の第一声は
「ねえねえ、見て。捻挫しちゃったの。テニスで・・・」
椅子をこちらにクルリと回転させ、包帯の巻いてある右の足首を木村に見せた。
高山は女子テニス部の副主将である。普段は見ることのない短いスカートのまま右足を椅子の座面に上げた。
血圧が上がるほどドキドキした木村は、その心情を悟られまいと、逆に目の前に突き出された足首を軽く握った。
「うん・・・少し腫れているな」
無表情を装いながらまったく根拠の無い台詞をはいた。腫れているかどうかなんて木村にはまったく判っていない。
「肩もんであげよっか」
高山は木村の背後に回り、肩をマッサージしはじめた。
結局、二人は肩をもんだり、テニスの話をしたり・・・夕方の四時になっていた。生徒会室は高校生が二人きりになれる空間。
しかも世間体の良い生徒会室である。
二人は生徒会室でデートすることが日課になっていった。
2年が経過していた。
木村は大学生活をエンジョイしている日本の典型的な大学生に成り下がっていた。成り下がっているのは本人の自覚である。かれは大学で化学合成の研究を夢見ていた。深夜まで汚い白衣を着て研究する姿に憧れていたが結局は今、文学部で日中はバイクを乗り回し5時には女子大生と一緒に喫茶店でコーヒーを飲んで談笑してるという日常である。金は無いが楽しく空虚な大学生活である。
深夜、アルバイトから帰ると買ったばかりの留守番電話にメッセージが入っている。
「ピー・・・あっ、高山です。・・・久しぶり。連絡ください。」
元気の無い声だった。
木村にはたくさんの友人に囲まれた楽しい大学生活がある。そんな中で旧友は影の薄いものになっていた。
一年遅れて希望の大学に入った高山は木村のアパートから少しだけ離れた場所でひとり暮らししていることは知っているがこちらから連絡は取った事がなかった。
木村は、予備校生の高山がわざわざ遠方のアパートに来てくれた事を思い出した。
木村の初めてのひとり暮らしのアパートに、高山が簡単な食料品を買い込んできた。木村にとっては高山が記念すべき初の来客であり、不安だらけの木村の一人暮らしは、高山にときおり勇気付けられながら順風満帆にスタートしたのだった。
あれから一年以上が経っているのである。
木村は急に申し訳ない心境になった。すぐさま受話器を取り上げダイアルした。
呼び出し音が数回鳴ったところで
「ピンポン!」
呼び鈴が鳴ったので木村はあわてて電話を切った。
男女5名の大学生がドカドカと遊びに来た。
木村はにこやかに仲間を迎えいれた。ひとしきり話した後で、一人の女の子が言った。
「あら?留守電入っているんじゃない?」
電話機の点滅するライトに気づいてそういった。
「たいした用じゃないんだ」と木村はいった。
「ホント〜?怪しいなぁ〜、友達なら無視しちゃダメよ」
その子は仲間からハッシーと呼ばれている快活でボーイッシュな子であった。正義感が強くハッキリとモノを言うタイプ。
学部の関係からキャンパスが別棟で木村は本当の名前を知らない。
ハッシーが来るといつもキッチンが綺麗になる。
1年ほどが経過したある夏の日・・・
木村は、大学の仲間と授業をサボってバイク数台で海へ行こうということになった。通りがかった2名の女子がサボりに行く木村達について行きたいというので、女の子を後ろに乗せ、4台のバイクで6人が海へ向かったのである。
砂浜で6人が車座になってビールを片手に楽しく話している。若い彼らは普段ビールなど飲まないが、多くの人がそれぞれのスタイルで海を楽しんでいる空間が、彼らの手に米国製の缶ビールを持たせていた。
前方には4人ほどのグループがいた。その格好から4人は、どうやら海に遊びに着たという感じではない。
なんとなく木村の視線に入った。一人の男が何気なく振り向き、木村と目があった。
「あっ・・・」
高校時代の友人高橋だった。高橋は馬鹿が付くほどまじめな男で高校時代の生徒会長であった。
「ひさしぶりだな」高橋の挨拶はなにか意味ありげである。木村はすぐに察した。
「おう!何かあったのか?」
「ちょうど一年だから・・・」
「一年って・・・なにが?」
「・・・知らないのか?」
高橋の顔が急に怪訝な、いやどこか怒りに近い表情に変化した。
「おまえ・・・だから葬式に来なかったのか・・・」高橋はとても落胆した表情である。
その日は高山の命日であった。高山は一年前のこの日、一人暮らしのアパートのベッドの中で遺体で見つかった。
高山は、それほど社交的ではないが綺麗なつくりの顔がさらに「親しみやすさ」を追いやってしまう。
初めての一人暮らしで少し慎重になっていたのかもしれない。
大学は歴史ある国立大学。学生の数も多く、得体の知れない人間が往来しているキャンパスで、高山は孤独だったに違いない。
「自殺・・・したんだ・・・」
高橋は楽しそうな雰囲気の仲間たちにかまわず悔しさを噛み締めながら木村に言った。
木村はどうしたらいいかわからず何かを言おうとした瞬間・・・
車座の中の一人の女の子が突然立ち上がった。そして硬い空気を破るように言った。
「あの・・・お墓って何処ですか?」高橋にとつぜん、ハッキリとしたトーンで、そして作り上げられたにこやかな顔で尋ねた。
そして「木村君、行こうよ。今から。今夜中には戻ってこれるじゃん!ねっ、行こう。私も行く。その人に手を合わせたいの・・・」
木村の手を強引に引きながら「みんなはこのまま楽しんで!木村君の問題だから・・・。これはケジメよ。しんぱいだから私が付いていくだけ。さっ行こうよ。」
木村はバイクを走らせたが時折、周りの車から鳴らされるクラクションが木村の動揺を示していた。
高校のある町まで1時半ほどの道のりであるが、後ろに女の子を乗せている事が木村を冷静にさせた。
頭の中では、ずっと高山の事を考えていた。
「何故なんだ・・・」と。
涙が出てくる。バイクを走らせながら肩が震える。
後ろの女の子はその都度、木村の背中を勢いよく叩いて「ほら!しっかり!私・・・怪我したくないからね」大きな声で叫ぶ。
ときおりコツンとヘルメットで頭を突いてくる仕草がその都度、木村を平常心にもどさせた。
後ろに乗っている女の子は、通称ハッシー。もちろん彼女は一年前の留守電といい、今回の件といい、高山と木村の関係に二度もかかわっていた事など知る由も無いのであった。