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Colum5 正しいヨシノヤと「心意気」

近年の著しい変化の一つに「ポジショニング」の変化がある。米国においてのユニクロ、いや歴史から考えると福助に近い位置付けである幾つかの衣料品店が、今では立派なデザイナーズブランドになっているケースがある。カルバン・クラインなどはそのいい例で、南青山にある店舗は、一般人が買い物をするには少し勇気がいる価格設定である。カルバン・クラインといえば80年代、アメリカチックでありながら非常に安価な価格設定のアンダーウェアメーカーであり、アメリカかぶれの貧乏学生であったボクは、近所のお店で好んで買ったものだった。もっともロゴもマークも今のモノと違い高級感は全く無かったのだが。

Back to the Future のヒットで日本における人気が急上昇したのが原因なのかわからないが85年以降になって急激に人気ブランドになったのは間違いないだろう。映画館で「あなたカルバンでしょ?下着に名前がかいてあったわ」というセリフで笑ったのは、満席の大シアターにもかかわらずボクを含めて数人だった事を記憶している。それくらい知名度は低かったのだ。

GAPを含め外来の商品が変化していく事は珍しい事ではないが、ここ10年で大きく変わった純国産といえば吉野屋ではないだろうか?昔の吉野屋は、作業着を来たおじさんと、僕らのような貧乏学生の巣窟であった。なんといっても安い早いで、よく徹夜の道路工事に従事したあと、おじさんに連れて行ってもらったものだ。

「いいか、店に入ったら、『大盛り卵』って大きな声でいうんだ。」

初めて連れて行かれた時、嫌という程聞かされた。彼ら常連客にいわせると、店に入るやオーダーし、店内を見渡して空いているポイントを見つけ、ゆっくりとその席に近づき、そしてヨッコラショと着席するやほぼ同じタイミングで卵とお茶が用意される。一口お茶をすすって卵に七味と醤油を入れてかき回していると大盛りが、でで~んと用意される。このタイミングが遵守されているお店が良い店の条件だそうである。

随分と昔の話しになるが当時、神田にある小さな吉野屋にその心意気は継承されているとの事で早速行ってみた。神田といっても限りなく日本橋の三越に近いところだ。

ガラガラ・・・「いらゃっしゃいませ」と別段他と変わらない雰囲気である。セオリー通り店に入るや「大盛り・卵」とオーダーした。しかし、この時既に攻防は始まっていたのだ。店のお兄ちゃんは、「いらっしゃいませ」と極普通に言ったのだが、ボクがいきなりオーダーをした瞬間に、真剣で冷淡な眼差しに豹変している。店の奥に向かって「大盛り一丁!」と素早く復唱したかと思うと片手に素早くお茶を握り、ボクが店内を物色している様子を察し着席するであろう場所にターゲッティング。ボクが腰を据えるや否やお茶と卵が出て来た!

「ムムッやるな」

お互いの目は会わないがお兄ちゃんから殺気立ったオーラを感じている内に、奥から「大盛り一丁」という声が。すなわち「大盛り一丁あがったよ」という事だ。

「は・はやい・・・」

 卵を混ぜるどころかお茶さえススル前に大盛りは見事、目の前に姿をあらわしたのだ。

店内の物色に時間をかけ過ぎたのか?いやいや、そんな事はない。入店してからおよそ30秒程で完全にオーダーは成就されたのである。

「デ・デキル・・・カンパイダ・・・」牛丼を見つめながら握りこぶしにチカラが入った。お店のお兄ちゃんは、そ知らぬ顔をして店内を片付けに戻っている。その後姿には、一流の仕事を見事に成し遂げた一流のプロだけが放つオーラ。あんなとてつもない奴らにかなうわけがない。ここまで完璧にヤラれるとかえってすがすがしい気持ちになる。おとなしく牛丼を喰らう事にした。醤油を手にとろうとした瞬間、お兄ちゃんが急に反転しお茶を2つ用意するや背後から、ガラガラとお客さんが入店する音が聞こえた。「な・なぜなんだ・・・!」

彼は客人が入店する前にその気配を感じ取りお茶を用意しているではないか!さらに奥のほうでは大盛りどんぶりを手に、今にもご飯をヨソおうと構えているではないか!入ってきたのは学生風の二人組み。ヘルメットをテーブルに置くと「大盛り!」「俺は・・・特盛!」と相次いでオーダーする。見ていると、店内にいるお兄ちゃんが、注文を反復する時には既に一杯目のご飯はヨソイ終っており二杯目の特盛の準備にかかっている。彼らが席について注文をいれてから10秒後にはもう牛丼の具をご飯の上に乗せている。素早く正確で、どんぶりの縁に「垂れ」のないよう細心の注意を払っているものの、そのスピードは尋常じゃあない。まるで早握りのすし職人を見ているようだ。ボクが完敗の念に付していた時、彼らは外から来店するスクーターの音に敏感に反応し、しかも2台というところまでは把握しお茶の準備が始まっている。奥で良く見えないが、牛丼を作っている職人は店内の異変に気づき店の扉に注目。学生風だと識別するや「並」は無いと判断したのか大盛り・特盛のどんぶりに手をかけている。若い客人が口頭から注文を発する瞬間にご飯は、どんぶりの中に入っている。彼らがお茶を手にし、割り箸に手をかける頃には牛丼が目の前に姿を表すという流れである。

十年経ったある日、ボクは関西方面のある街で小腹をすかせていた。ゆっくりと食事する時間もないのでコンビニでパンでも買おうと探していると一件のきれいな吉野屋。入り口が二重の引き戸になっていてガラガラと音をたてて引き戸を開けた時、昔の事を思い出した。ボクは店内に入るや「大盛り、卵っ」とすこし威勢のいい声で注文したのだが「大盛りと卵ですね!」っとかえってきたのはきれいな女性の声であった。店内には朝定だのテイクアウトだの様々なチラシがきれいに掲示してある。店内にはボクを含め数名の客がいたが、ネクタイをしめたサラリーマンとOL、それに自営業と思しき中年である。よく見るとOLは一人で昼食をとっているようだ。あの頃、吉野家に女性、しかもOLが一人でいくなんて考えもつかなかった。時代は変わったものだと思いながら席につくとややあって牛丼がやってきた。確かに早い事は早いが、昔あったプロ意識の塊のようなオーラや、男の戦場的雰囲気は微塵も無かった。テーブルに埋蔵された冷蔵ケースにきれいにサラダが並んでいる。

「先日、恥ずかしい事があったのですよ~。」と切り出したのは知り合いの女性である。彼女は、優秀な大学を卒業したエリート・ビジネスウーマンである。つづいて「吉野屋へ行った時に・・・」ボクは、思わず彼女を遮った。

「まってくれ!吉野屋へ行くのかい?」

彼女は、不思議そうに「もちろん」といった。なんの抵抗も感じていないようである。いまどき女性が一人で吉野屋へ行く事は至極当たり前の事のようだ。「・・・で、どうした?」

彼女は続けて「吉野屋へ入って、『並、つゆだく一丁』って言っちゃったんです」。一瞬なんの事だかわからなかったが、自分自身の注文に「一丁」と言ってしまったらしい。・・・これには流石に笑ってしまった。

想像してもらいたい。若い女性が吉野屋へ入るや「並、つゆだく一丁」と注文する姿を。

しかも「つゆだく」である。恥ずかしそうに笑う彼女だが、十年前の男の戦場だった吉野屋を知らない世代である。そんな彼女のエピソードに今は無き「吉野屋魂」を垣間見たような気がしたのであった。