今でもはっきりと覚えているのだが、幼稚園の頃に東西南北のグループに分けれて帰宅したのだが、本当に頭の悪い僕は自分の帰宅グループ「西」を覚えられずにいた。
ボクは本当に学習障害児だったのだろう。しかしボクを救ったのは右脳である。「西」は覚えられないのだがこの「ニシ」と言う音にあるビジュアルが関連付けられていて、いつも間違うことなく「ニシ組さんのお友達〜」について行くことが出来た。
「西」に関連付けられたビジュアルとは「やかん」である。すなわち「ヒガシさ〜ん」と呼ばれると、僕の中ではヤカンのイメージと合わないので黙っている。「南さ〜ん」もなんとなく違うのである。「ニシさ〜ん」あっこれだ!となる。
こんな不思議な感性を持っているからなのだろうか・・・
何故だろう・・ボクは・この頃のメルツェデスを見るとどうしても重厚なグランドピアノを連想してしまう。
特に白いR107は、ピアノの重厚さと白鳥の優雅さを兼ね備えている。一見、相反する要素だがそれが成し遂げられるのはドイツのイマイチ洗練されていない感性の下で優雅なものを目指したからに他ならない・・・と勝手に結論付けた。どこからの受け売りでもない自分の感覚なので異論を唱えられればもろくも崩れ去る程度の「イイキリ」にしておきたい。
自分で所有する勇気は今のところ無い。何故ならいい物に出会う為には根気強く時間をかけなければならないし用途を考えた場合、若干の不安が残る。しかしそれを凌駕するほどのものに出会えたら一撃でやられるだろう。
今回、実は限りなく理想にカスッた車に出会った。もうカスッたなどというよりも擦れて火花が出た。走行距離、程度はもう現存しないだろうと言うくらいすばらしかった。しかしボクが欲しかったのは86年のフロントスポイラータイプになったV型の白。目の前にあるのは85年U型の赤である。
気を失うほど美しい女性に出会った。年齢も性格も理想だった。しかし・・・和食しか食わない女だった。
微妙なのだがアメリカにかぶれているくらいのほうが好きなボクとしては、いつもどこかにストレスを感じることになる。これが最終決断を鈍らせるのである。しかし・・・ん〜やっぱ・・・あ〜悩むのである。
若干の後ろめたさ
これはまごうことなく分不相応だということを本人が一番判っているからなのである。机上の理論から言えばランニングコストも含めて決して無理な買い物ではない。そう、例えるなら乗り出して最初の5年間にかかる費用は一切合切全て含めて考えてもトヨタクラウンロイヤルサルーンを新車で買うよりもかなり安いというのがボクのシミュレーションである。もちろん考えられる故障も含めてである。
だから堂々と乗りたいのだが、20年前とはいえ夢の自動車がここまで現実のものとなると少々馴染まないのである。これはハルレイや12Rの時とは違う種類の「馴染まなさ」である。1週間で手放すか20年乗るかはわからないが、ドキドキのメルセデス生活が始まるに違いない。
2月11日
